【ICD】が創刊されるまで

今回は、1893年に創刊された国際的な操作的診断基準である【ICD】が創刊されるまでの歴史を見ることで、精神障害分野の見地を深めます。
【ICD】【DSM】については「ICD-10、DSM-5 って何?違いは?わが子の発達不安と関係ある?」ページで詳しく解説しています。是非あわせてご覧ください。
【ICD】が創刊されるまでの歴史
【ICD の前身】国際死因分類(ILCD)
【ICD】の前身は、国際死因分類(ILCD:International List of Causes of Death)です。その内容は死に至る疾病のリストでした。
ILCD は、改訂第1~5版まであり、それに疾病(死に至らないが健康を損なう疾患)の分類が導入された改訂第6版で【ICD:International Statistical Classification of Diseases and Related Health Problems】と改名されたのです。それが【ICD-6】です。なので ICD-1 というものはありません。
ILCD 創刊以前
死亡統計に関わる研究分析は、ILCD の創刊よりもずっと昔から行われていました。
たとえばロンドンでは、16世紀から19世紀中頃まで、法律により、埋葬を監視することによる死亡記録の統計がとられていました。それは、ペストなどの伝染病による死亡率の増加をより早く特定することを目的としていました。
参考:Wikipedia “Bills of mortality“
【ILCD の起源】
国際死因命名法の必要性の気付き
【ICD】の前身である国際死因分類(ILCD)の歴史は、ILCD が創刊される48年前から始まります。
1853年 第1回国際統計会議
1853年にベルギーのブリュッセルにて、最初の国際統計会議が開かれました。
そこでは、イギリスの疫学者でコレラ流行の原因も研究していた医学統計学者ウィリアム・ファー(William Farr)博士や、ヨーロッパで病気数値分析を専門とする組織を立ち上げた医学統計学者マーク・ジェイコブ・デスピネ(Marc-JacobD’Espine)医師らが招かれました。
その会議にて、死因の標準化された国際命名法が必要であることが正式に可決され、その開発を行うことが決定しました。
1855年 第2回国際統計会議
そして2年後、第2回国際統計会議にてファー博士とデスピネ医師は、それぞれ死因分類リストを提出しました。
それらを一つにまとめ、最初の死因分類リストとして、139の疾患グループに分類されたものが採択されました。
1855年に作製された死因分類リストは、その後、何年もかけて都度システムを改善されていきました。
1893年 国際統計研究所会議
1893年、国際統計会議の後継である国際統計研究所の会議が、シカゴで開催されました。
そこでフランスの医師で人口統計学者でもあるジャック・ベルティヨン(Jacques Bertillon)博士は、ファー博士の原則に基づいたベルティヨン死因分類(BCCD)を発表しました。
そしてそのSCCDが、国際死因分類(ILCD)の分類として使用することが承認されました。
その後、1899年の会議で、今後も死因分類をチェックして改善するために、10年ごとに改訂会議を開催することが決定しました。
国際死因分類(ILCD) の創刊
1900年 ILCD の創刊
翌年の1900年、パリで第1回国際改訂会議が開催され ILCD-1 が創刊されました。
ILCD 改訂会議
1902年には第2回ILCD改訂会議、1920年には第3回ILCD改訂会議が開催されました。
これらのILCD改訂会議では、死因分類リストと並行して疾病統計リストも作成、承認されていました。
しかし疾病リストは、あくまで死因リストの限られた拡張でしかなく、一般的には紹介されませんでした。
【ICDの誕生】の経緯
そのような流れの中でしたが、1948年に正式な国際疾病分類リスト(ICD-6)が誕生したのです。どのような経緯で誕生したのかを見ていきましょう。
ILCD-5 →【ICD-6】 の経緯
ILCDが【ICD】になる前は、「死亡証明書にいくつかの共同の死因が記載されている場合、主な死因を選択する問題」がありました。アメリカでは、長期の研究にも関わらず、解決されない問題でした。
1938年 第5回ILCD改訂会議
そこで、1938年にパリで開催された第5回ILCD改訂会議の際に「死因のリストに沿った疾患の分類の重要性」が強調され、共同死因問題解決のために国際的に動きはじめました。アメリカ政府と、カナダ、英国、および国際連盟の保健機関からの代表らが「共同死因米国委員会」として研究をはじめることになりました。
1945年 共同死因米国委員会会議 死因分類と疾病分類を一つのリストへまとめた
1945年、共同死因米国委員会は、「共同死因」「死因分類リスト(致命的な病気)」「疾患分類リスト(非致命的な病気)」との密接な関係を認め、それらを1つのリストにまとめました。
単一のリストを使用することで、今までより分類がはるかに簡単になり、基準が共有されるため、罹患率と死亡率の統計が比較可能になるというものでした。
この会議で、共同死因米国委員会におよる「疾病、負傷および死因の統計的分類」の草案が採択されました。
1946年 国際健康会議
翌年の1946年にニューヨークで開催された国際健康会議で、現在の世界保健機関(WHO)の暫定委員会が任命されました。
また「国際疾病リストと死因の第6年次改訂の作成のための専門委員会」が任命され、合同死因米国委員会が提案した上記草案を基に、疾患・負傷および死因の国際分類と分類に含まれる、すべての疾患名の関連するアルファベット順インデックスを作成しました。
【ICD】 の誕生
1948年 疾病と死因の国際リストの第6改訂に関する国際会議
そして1948年にパリで開催された疾病と死因の国際リストの第6改訂に関する国際会議で、国際疾病分類となるICD(日本語での正式名称は「疾病及び関連保健問題の国際統計分類」))が【ICD-6】として誕生したのです。
またこの会議では、人口と健康統計に関する国際協力プログラムが推奨され、その管理運営のためにWHOが設立されました。
参考:The Federal Institute for Drugs and Medical Devices “From ILCD to ICD-10" 最終閲覧日:2020.08.15
ちなみにこの【ICD-6】は、まだ分類リストであり、現在のような精神障害の操作的診断基準は記載がありませんでした。1990年の【ICD-9】→【ICD-10】の改訂時に、大きな内容の変更を伴う改訂が行われ、操作的診断基準はその際に行われたものです。
【ICD】が誕生したときは、まだ今のような操作的診断基準は導入されていない。導入されたのは【ICD】の誕生から42年後(【ICD-10】)のこと
まとめ
今回は、【ICD】が創刊されるまでの歴史を見てきました。
は、ILCDから改訂されたものなので【ICD-1】というものはありませんが、【ICD-6】が誕生するまでの流れが分かりました。
後日【ICD】に操作的診断基準が導入されるまでの経緯も別ページで詳しく解説していきますので、そちらもご覧ください。
現在、【DSM-5】も同じく操作的診断基準となっていますが、開発経緯や発効元、創刊年が全く異なり面白いので、よかったら「【DSM】が創刊されるまで」ページもご覧ください。
読んで下さってありがとうございました!