【ICD】【DSM】が精神障害の診断基準になったわけ

ICDとDSMが精神障害の診断基準になったわけ

今では精神障害の操作的診断基準となっている【ICD-10】【DSM-5】ですが、最初から精神障害の診断基準【操作的診断基準】を載せていたわけではありません。

そもそも【ICD】も【DSM】も、創刊の目的は精神障害の診断基準をまとめることでもありませんでした。創刊時のことについては、下記のページに詳しい内容を記載していますので、そちらをご覧ください。

今回は、【ICD】【DSM】に操作的診断基準が導入されるまでの流れを見ることで、精神障害分野の見地を深めます。

はじめに

【ICD】【DSM】についてよく分からない方は「【ICD-11】【DSM-5】ってなに?違いは?|分類表、診断基準」ページで詳しく解説していますので、まずはそちらをご覧ください。

なぜ【操作的診断基準】は生まれたの?

精神障害は、未だに原因が明確になっていません。生物学的検査から証拠が目に見えるかたちで診断できないため、診断の信頼性という問題が起こってしまいます。

【診断の信頼性】が低かったから

1950年頃から、精神障害という概念が、精神科医以外の医師向けにも徐々に体系化されてはいきました。

しかし、1980年に【DSM-Ⅲが発効されるまで、本格的な診断基準存在しませでした。そのため、診断の信頼性極端に低いものだったとされています。

参考:Adam Kuper; Jessica Kuper, eds. (November 24, 2008), The Social Science Encyclopedia(3rd ed.), Routledge, p. 250, ISBN 978-0415476355

【操作的診断基準】が生まれたきっかけ

精神障害の信頼性の問題については、様々な研究報告から問題提起されました。

【操作的診断基準】が生まれたきっかけにもなった研究報告とは、どのようなものだったのでしょうか?有名な実験を一つご紹介します。

1973年:ローゼンハン教授の実験

ローゼンハン教授
ローゼンハン教授 画像はYouTubeより

1973年に、アメリアのスタンフォード大学のデイビッド・ローゼンハン(David L. Rosenhan)教授らがアメリカの12ヶ所の精神科病院に対して「診断の妥当性」を問うた8部構成の「ローゼンハン実験」と言われるものがあります。有名な2つの部について説明します。

第1部

実験の手順は、精神障害ではない8人(ローゼンハン教授自身、3人の心理士、小児科医、精神科医、心理学の大学院生、画家、主婦)の疑似患者が、用意された仮の身分で「幻聴が聞こえる」とだけ訴え、実験を知らせていない精神科病院に掛かり、精神科医はそれを見破れるのか?というものでした。

セントエリザベス病院
実験拠点の一つセントエリザベス病院 画像はWikipediaより

もしも精神障害と認められたら、疑似患者はそれ以降は正常に振舞い「気分がよくなり幻聴は聞こえなくなった」とスタッフに伝える、ということも打ち合わせされていました。

その結果は、全員が精神障害と診断され、入院と抗精神病薬の服薬が始められました。入院は、平均19日間で、退院するためには「自分が精神障害であることを認めること、抗精神病薬を服用すること」を約束する必要がありました。当時、精神障害と診断された人は、希望しても自発的には退院できるようなものではなく、非人間的な扱いを受けていること等も明らかになりました。

また、退院時の診断は、1人を除いて「統合失調症の寛解期」というものでした。寛解とは、治癒したのではなく、症状が一時的に落ち着いていることを意味します。

第2部

今度は精神科病院からローゼンハン教授に「偽患者」を特定すると伝え、ローゼンハン教授がそれに了承した形で始まりました。

精神科病院の精神科医とスタッフは、次の一週間の新患193人のうち、41人を偽患者の可能性があると特定しました。しかしローゼンハン教授は、偽患者を病院に送っていなかった、という結果でした。

実験報告

これらのローゼンハン教授による実験結果は、世界トップクラスの権威をもつ学術雑誌「Science」に掲載されました。「狂気の場所の正気の存在(On Being Sane in Insane Places)」というタイトルで掲載され、精神障害の診断性の低さは当時爆発的な議論の的となりました。

1973年のScience
ローゼンハン実験が掲載された1973年のScience

参考:Stanford University D. L. Rosenhan (January 1973). “On being sane in insane places”. Science 179 (4070) pp.250?258.

その他の実験

他にも1970年頃、アメリカとイギリスの精神入院患者の統計差が大きい(※)ことを研究した結果、医師の診断に偏りがあることが判明しました。

※:アメリカでは精神分裂症(現在の統合失調症)、イギリスでは躁うつ病(現在の双極性障害)が多かった。

1980年:【DSM】が【操作的診断基準】を初導入

アメリカ精神医学会により生まれた

その後、多くの他国間での研究結果も同様であり、精神障害の診断と分類方法見直す必要が明確になりました。

そして1980年、アメリカ精神医学会によって作成された国際的な精神障害の診断基準【操作的診断基準】が、【DSM-Ⅲ】に導入され、発効されました

精神医学においてもほとんどの疾患が原因不明なため、診断基準が有用である。しかしながら1980年以前までは本格的な診断基準は皆無で、精神科医間の診断信頼性は極端に低く、国際的な比較等は到底できない状況にあった。これらの問題を解決するために、米国精神医学会による公式診断基準DSM-Ⅲ(1980)が作成された。

脳科学辞典「操作的診断基準(精神疾患の)」DOI:10.14931/bsd.912

DSM-Ⅲ は、精神医学において革命となった

アメリカ精神医学会は、既存の【DSM】の下記部分について、大きく改訂を行いました。

  • 【DSM】の用語を、WHO の【ICD-9】に合わせた。
  • 用語の一般的な説明に加え、病因論に関する理論・証拠に基づく診断基準も盛り込み、38ページの【DSM-Ⅱ】から、295ページに拡張。
  • 基準で使用されている用語を定義する用語集も出版。

参考 The University of Iowa Roy J and Lucille A Carver College of Medicine Mental Health Clinical Research Center Nancy C. Andreasen (2007)「DSM and the Death of Phenomenology in America: An Example of Unintended Consequences」DOI: 10.1093/schbul/sbl054

【DSM-Ⅲ】は、精神医学において革命となり精神科医、看護師、ソーシャルワーカー、弁護士、心理学者など、精神医学に関係のある人なら誰でも購入したと言われています。

精神科医によって、精神科医のために、そして精神科医の教育のために作成された【DSM-Ⅲ】は、世界中に急速に普及し、精神障害に対する国際的な基準となりました。

アメリカでは【DSM】が精神医学の基礎に

アメリカでは【DSM-Ⅲ】が、一般社会と大学生の両方において、精神医学教育の基礎、教科書となり、その結果、精神障害に対する研究者の熱意が奪われたと言われるほど根付いています。

1990年:【ICD】も【操作的診断基準】を導入

WHO もアメリカ精神医学会に次いで、独自に精神障害の診断基準を作成し、【ICD】に【操作的診断基準】を導入しました。

それは、1975年発効の【ICD-9】の改訂版である、1990年に発効された【ICD-10】においてです。

The Clinical descriptions and diagnostic guidelines was the first of a series of publications developed from Chapter V (F) of ICD-10 (11). This publication was the culmination of the efforts of numerous people who have contributed to it over many years.

The ICD-10 Classification of Mental and Behavioural Disorders" World Health Organization Geneva (1993)
↑ 和訳概要

臨床の説明と診断ガイドラインは、ICD-10の第V章(F)から開発され、ICDシリーズで最初のものだった。ICD-10は、長年にわたってそれに貢献してきた多くの人々の努力の集大成であった。

ノーマン・ザルトリウス教授
ノーマン・ザルトリウス教授 画像はESCAPE

クロアチアで大学教授であり、WHOと世界精神医学会(WPA)の指導的地位も務められた有名な精神科医であられるノーマン・ザルトリウス(Norman Sartorius)教授は、ICD-10は、世界中の膨大な数の個々の専門家と機関の協力によって、世界中の精神障害者とその家族や多くの人々の活動を強力にサポートすることを期待して制作された操作的診断基準と述べています。

The Acknowledgements section is of particular significance since it bears witness to the vast number of individual experts and institutions, all over the world, who actively participated in the production of the classification and the various texts that accompany it. (中略)They were produced in the hope that they will serve as a strong support to the work of the many who are concerned with caring for the mentally ill and their families, worldwide.

“The ICD-10 Classification of Mental and Behavioural Disorders" World Health Organization Geneva (1993)

まとめ

今回は、【DSM】と【ICD】に【操作的診断基準】が導入された流れを見てきました。

【操作的診断基準】が導入される前の、精神科医による主観的な診断は、今から考えると恐ろしいものでしたね。

今回も読んで下さってありがとうございました!