【田中ビネー知能検査Ⅴ】とは?検査方法も紹介!

田中ビネー知能検査Ⅴは、小さい頃から受けられる、日本でとてもよく使用されている知能検査の一種です。す。

現在日本で一番よく使用されている知能検査と言えば田研式田中ビネー知能検査であろう。

筑紫女学園大学研究紀要 13号「アセスメントにおける行動観察 (1)」Pp.125-135 酒井 均 2018-01-31

対象年齢

田中ビネー知能検査の対象年齢は、2歳0ヶ月~成人です。

特徴

田中ビネー知能検査結果では、その子が何歳くらい相当の知能かを知能指数(IQ)という数値で知ることが出来ます

世界的に有名な知能検査といえば他にWISC-Ⅳもありますが、そちらが「情報の入力・出力に対しての認知能力」を求める検査だとしたら、田中ビネー知能検査Ⅴは精神年齢」を求める検査です。

13歳までの検査では、同年代の平均的な知能とどのくらい差があるのかは分かりませんが、5歳からが検査対象になるWISC-Ⅳに比べて小さい子の特徴をとらえやすいという特徴があります。

幼児(2歳から6歳)においてはその他の認知検査(K‐ABC や WISC 等)において十分な結果が得られず、その子どもの特徴をとらえることが難しいことも多い(中略)田中ビネー検査において、子どもの検査時の様子や反応の仕方を十分観察し総合的に解釈していくことが重要になる。

筑紫女学園大学研究紀要 13号「アセスメントにおける行動観察 (1)」Pp.125-135 酒井 均 2018-01-31

検査方法

個別式の知能検査で、検査官(臨床心理士など)と子どもが、原則1対1で向かい合って座って行います

小さい子でも興味を持てるような検査キットを使用します。

問題例

より詳しい内容は、こちらのページにまとめましたので、是非あわせてご覧ください。

求められるIQ

  • 2~13歳までは【従来のIQ】
  • 14歳以上では【DIQ】

この田中ビネーでは被検査者の認知能力の差はその数値からはうかがうことができない。一番新しい田中ビネーⅤ(ファイブ)においては14歳以上の被検査者では認知能力の差を見るようになっているが13歳まではそうではなく従来の IQ を使用する。

筑紫女学園大学研究紀要 13号「アセスメントにおける行動観察 (1)」Pp.125-135 酒井 均 2018-01-31

IQのことや計算方法については、下記ページで詳しく説明していますので、是非あわせてご覧ください。

DIQも求められる

後述のスタンフォード・ビネー検査は、1960年に知能指数を【従来のIQ】から【DIQ】へ変更しています。

ですが田中ビネー知能検査では、1987年、最新版の2003年の改訂時にも十分な議論の結果、13歳までは【従来のIQを基本としています。ただし、2003年版では【DIQ】も求められるように、マニュアルに換算表を載せています。

最新版

最新版は、2003年に改訂された田中ビネー知能検査です。

この]はファイブ(5)を意味しています。略して田中ビネーと表記されていることが多いです。

改訂は、初版が作成された1947年以降、1954年、1970年、1987年、現行の2003年と行われています。

ちなみに、一つ前の改訂版は、田中ビネー知能検査Ⅳ(4)ではなさそうです。田中ビネー知能検査用具を発売している田研出版株式会社のサイトでは「87年度全訂版 田中ビネー知能検査」となっています。

どんな時に使用されるの?

特別な支援が必要かの判断に

それにより、その子が特別な支援が必要かどうかなどの診断の有効な手段として使用されています。

分析と参考のために

臨床心理士など、心理学的知能を持った検査官が行うことにより、その子の基礎的な能力の把握とともに、苦手な部分の原因分析と、適切な指導のための参考資料にもなります。

例えば、文章を記憶することが苦手な子どものケースでは、その原因が記憶力にあるのか、聴覚的な刺激の取り入れにあるのか、もっと他にあるのかなどを子どもの反応を分析したり、取り組み方を観察することで推測できる。

田研出版株式会社ホームページ「田中ビネー知能検査V」より引用

療育手帳の交付時の知能検査として

療育手帳の発行元によりますが、交付の対象かどうかを検査する際にもよく使用されています。

例えば「田中ビネー知能検査Ⅴの結果がIQ70以下であれば知的障害→療育手帳の交付対象」というように使用されます。

療育手帳や知的障害については、下記ページで詳しく解説していますので、そちらもご覧ください。

製作者

田中ビネー知能検査は、心理学の権威田中寛一教授によって、1947年に開発されました。

田中 寛一教授
田中寛一教授 画像はWikipediaより

海外で非常に有名になっていた「スタンフォード・ビネーテスト(1937年版)」が基になっています。

「ビネー」って?

「ビネー」はフランスのアルフレッド・ビネーAlfred Binet)博士からとられたものです。

アルフレッドビネー博士
アルフレッド・ビネー博士 画像はWikipediaより

ビネー博士は、1905年に助手のセオドア・シモン(Theodore Simon)と共に、世界で初めての実用的な知能検査「ビネー・サイモンテストThe Binet?Simon test)」を開発した心理学者です。

セオドア・シモン博士
セオドア・シモン博士 画像はWikipediaより

「ビネー・サイモンテスト」開発のきっかけ

ビネー・サイモンテストが開発される6年前の1899年、ビネー博士は、頼まれて児童心理学の専門家グループ「子供の心理学研究のための自由な社会(the Free Society for the Psychological Study of the Child)」のメンバーになりました。

その専門家グループは、科学的な方法で子どもたちの研究を行い、フランス政府から学習面に遅れのある子の教育に関する役割も任命されました。

「全ての子どもに適切な教育」を受けさせるために

1902年にそこの会長であったビネー博士は、下記の目的のために、子どもの知能を年齢別の指標比較することでその子の精神年齢を割り出し数値化する検査方法を開発(後述)したのです。

ビネー博士の開発目的
  • 学習面に遅れがあり、特別な教室に入る可能性のある子を分類する
  • 全ての子どもに適切な教育を受けさせることができるように

その際、当時医学生であったセオドア・シモンも協力したことから、その検査方法を「ビネー・サイモンテスト(The Binet?Simon test)」と名付けました。

二人は、知性の明確な指標を設定するために、幅広い多くの子ども達に対し幅広いテストを行いました。さらにこれまでの彼らの研究を基にしてベースラインが定められました。研究の結果、知性は単一構造ではないと結論付け、年齢別に比較する方法にたどり着きました。年齢別に最高レベルの達成度を分類し、一般的な達成度であれば、その年齢の通常のレベルと見なされるというものです。

このテストを用いることで、遅れのある子の知性を伸ばすことが出来るとビネー博士は信じていました。

その後もビネー博士は、シモン博士と共にテストと研究を重ね、1908年、1911年に改訂しました。

ビネー博士の死後、世界的に評価された

今ではとても評価されているビネー検査ですが、1911年にビネー博士が亡くなるまでの間には、フランス政府には採用されませんでした。

「ビネー・サイモンテスト」は、彼の死後、膨大な研究量と管理のしやすさから、世界中に支持されました。

社名を博士の名に

ビネー博士が1899年に加入したグループ「the Free Society for the Psychological Study of the Child」は、知能検査を普及させた貢献に敬意を表して1917年に「アルフレッドビネー会社(La Societe Alfred Binet)」へと名前を変更しました。

Science「20世紀の最も重要な発見」選出

また、世界トップクラスの権威をもつ学術雑誌「Science」は、1984年に、20世紀の最も重要な発展または発見の1つとして「ビネー・サイモンテスト」を選びました。

「ビネー・サイモンテスト」がアメリカへ渡り、世界に普及した

1908年:英語に翻訳・全米へ配布される

当時、画期的だった「ビネー・サイモンテスト」は、アメリカのヘンリー・H・ゴダード(Henry H. Goddard)により、1908年にはじめて英語に翻訳され、全米へ配布されました。

ゴダード
画像はWikipediaより

ゴダードは、(現代でいう)知的障害や発達障害について研究を行っている心理学者でした。

アメリカで初めてとなる知的障害児や精神的欠陥のある子ども達の研究を専門とする施設「弱気の少女と少年のためのヴァインランド訓練学校(Vineland Training School)」の責任者も1906年から務めていました。

また、知的障害・学習障害・その他の精神疾患などは遺伝的であり、社会はこれらの特徴を持っている人々を制度や不妊手術を用いて排除すべきだ、と主張するような優生学者でもありました。

◇参考◇ナチス・ドイツや日本にもあった「人間の血統改良」を目指す【優生学】とは?

ゴダードは、「ビネー・サイモンテスト」に下記の有用性を見出し、その検査をアメリカに広めました。

ゴダードの目的
  • 白人種族の優位性を証明する
  • 知的障害者の社会からの排除

さらにそのテストを用いて知的障害のある人を分類するためのシステムの定義を、1910年の米国弱心研究協会の総会で提案しました。

当時アメリカでは、実力主義に基づく社会形成の呼びかけや、精神検査運動が盛んに行われていたという時代背景もあります。

ビネー博士は非難した

ビネー博士は、コダードの思想とは反し、知性は遺伝的なものだけではないと考えていました。子どもの知的発達はさまざまな速度で進行すること、知性は驚くべき多様性をもち、固定的なものではなく、順応性があり、環境の影響を受ける可能性があることなども強調していました。

また、集中しやすい環境だったか、体調はどうだったかにより、様々な条件により、知能検査の結果は変動することも分かっていました。

そのため、「ビネー・サイモンテスト」で測定できるものについての限界を率直に認め、数値で表されるものだけでなく、数字では表せない性質に着目して研究を続けるべきとしていました。

そんな考えを持つビネー博士は、アメリカで優生思想の為にビネー検査を使用することについて、非難の目で見ていました。

when Binet did become aware of the “foreign ideas being grafted on his instrument" he condemned those who with 'brutal pessimism’ and 'deplorable verdicts’ were promoting the concept of intelligence as a single, unitary construct

Wikipedia Alfred Binet
↑ 和訳概要

ビネーは「彼の検査に外国のアイデアが融合された」ことに気付いたとき、知性の概念をただひとつの単一構造として推進していた人々を「残忍な悲観論」「嘆かわしい評決」と非難した。

サイモン博士もビネー博士に賛同しており、他の心理学者が「ビネー・サイモンテスト」を不適切に使用することに最後まで批判的でした。

1916年:スタンフォード大学がビネー検査を標準化

ターマン
画像はWikipediaより

アメリカの精神検査運動でゴダードに続いたのは、同じく優生学者であり「天才の遺伝学的研究」で有名な、スタンフォード大学のルイス・ターマン(Lewis Terman)教授でした。

彼は1916年、大規模なサンプルを用いてアメリカ向けに標準化・改訂した「スタンフォード・ビネー(Stanford?Binet Intelligence Scales)」を公表しました。

の「スタンフォード・ビネー」こそが、現在も第5版まで改訂され、世界的に使用されているビネー検査なのです。

ターマンが作成したこのテストの目的は、ビネー博士の「学習面で遅れのある子を分類し、適切な教育やケアを受けられるように」というものではなく下記の通りでした。それは、彼がIQは遺伝するものだと信じ、さらに優生思想のために成り立った目的でした。

  • IQスコアにより子どもを分類し、適切な仕事に就かせること
  • 知的障害や発達障害を社会から排除する

A new objective of intelligence testing was illustrated in the Stanford-Binet manual with testing ultimately resulting in “curtailing the reproduction of feeble-mindedness and in the elimination of an enormous amount of crime, pauperism, and industrial inefficiency".

↑ 和訳概要

スタンフォード・ビネー検査のマニュアルに示されていた知能検査の新しい目的は、最終的に「弱気の生殖を削減し、膨大な量の犯罪、貧困、および産業の非効率性を排除する」という結果になりました。

ちなみにIQが遺伝的なものかは1世紀以上研究がなされていますが、現在でも研究者の間で議論が続いています。また、優生学的な考えは非科学的であるとされ、1950年代には廃れていった思考です。

その後「スタンフォード・ビネー」が世界的に普及し、現在に至る

日本でもその「スタンフォード・ビネー」を翻訳し、1919年に日本でも標準化されはじめました。

以降、鈴木ビネー法(1930年)、田中ビネー法(1947年)、武政ビネー法(1952年)、幼少研式辰見ビネー(1980年)などが登場したのです。

【参考】鈴木ビネー法

鈴木ビネー検査
画像はサクセス・ベル(株)より

現在、田中ビネー検査の他にも鈴木ビネー検査も残っています。最新版は、田中ビネーよりも新しく、2007年に改訂されています。

鈴木ビネー法は、教育学・心理学を専門としていた鈴木治太郎博士が1930年に作製しました。鈴木博士は、世界レベルで見ても非常に多くの実地と人数で試験を重ね改訂(1936年、1941年、1948年、1956年)を行いました。

鈴木ビネー法の対象も、2歳0ヶ月からですが、18歳以下の検査内容については時代の変化に対応していないため、現在では田中ビネー検査の方が一般的に使用されています。

まとめ

今回は、田中ビネー知能検査Ⅴとビネー検査について詳しく見てきました。

最後まで読んで下さって、ありがとうございました!

※画像の引用元は、出版元の田研出版株式会社です。