【自閉症の報告】カナー医師はアスペルガー医師の研究内容を盗んだの?
アスペルガー医師の自閉症に関する有名な論文は一般的に1944年、つまり1943年のレオ・カナー医師による自閉症臨床報告の翌年となっています。
これだけ聞くと、カナーの自閉症報告を読んだアスペルガーが、急いて似た症例を論文にまとめているかのようにも感じます。
しかし事実はそうではありません。
アスペルガーはその論文を、カナーの論文が発表された1943年にウィーン大学へ提出しています。
この二人の医師の同時期の自閉症報告は、偶然なのか?必然なのか?
今回はそのあたりの理由を考察してみます。
二人に交流はない
アメリカのカナーと、遠く離れているヨーロッパのオーストリアのアスペルガーの交流は全くありません。
アスペルガーがカナーの自閉症を引用し始めたのは、1944年の論文が発表された後の第二次世界大戦後です。
カナーも、かなり長い間アスペルガー医師の研究は知らないという立場をとっていました。カナーのいるジョンズ・ホプキンズ大学には、各国の論文情報が入ってはきていたのですが。
カナーが唯一アスペルガー医師に触れたのは1970年に出版されたアイザック・クーゲルマス(Isaac Kugelmass)医師による自閉症児の書籍(The Autistic Child)の書評欄でした。しかも彼の研究を冷笑するためなのかどうかは分かりませんが、名前の綴りを間違えていたということです。参考:心の研究室「書評 自閉症――10.『自閉症の世界』」
さらにアスペルガー、カナーともに、生涯、お互いの症候群は“異なるもの”と主張していました。
カナーの考えだけが注目
カナーの「自閉症」についての論文が専門家の間で話題になった一方、アスペルガーによる論文は1980年代まで注目されることはありませんでした。詳しくは下記ページにまとめています。
フランクル医師の存在
長い間この同じ時期の発表は、奇跡的な偶然と思われてきました。
しかし、2015年、カナーにアスペルガーの研究内容を伝えたゲオルク・フランクル(Georg Frankl)医師の存在が初めて明るみに出たのです。
アスペルガー医師の同僚
フランクル医師は、オーストリア・ウィーン大学の治癒教育部門でアスペルガー医師と共に働いていた小児神経医でした。詳しくはこちらのページでまとめています。
彼は、1937年、当時反ユダヤ人扇動の場となってしまったオーストリアからアメリカへ亡命しています。
アメリカへの亡命
その際、何百人ものユダヤ人医師がドイツやオーストリアから移住するのを支援していたカナー(カナーはオーストリア生まれのアメリカ人)の助けを借りたのです。
そしてカナーのもとへ
彼はカナーの個人的なスポンサーのもと、入国ビザを取得し、1938年、カナーのいるジョンズ・ホプキンズ大学の病院に勤めることになったのです。
そうです、このフランクによって自閉症の知識がカナーに渡たりました。
カナーがフランクルやフランクルの妻であるワイス心理士の知識を大いに利用したことは、2015年に初めて分かりました。
2015年 シルバーマンによって報告された
そのことを調べたのはアメリカ人ライターのスティーブ・シルバーマン(Steve Silberman)です。2015年に出版した彼の本は、ノンフィクションのベスト作に贈られる英国の年間ブック賞(2015年当時サミュエルジョンソン賞)を受賞しています。
さいごに
カナーはアスペルガーの研究内容を「盗んだ」のかどうかは、私が判断できるものではないことが分かりましたが、深い関係がありそうなことは明らかでした。
最後まで読んで下さって、ありがとうございました!