自閉症児の【こだわり】理由・実例・成功した対応方法
自閉症児の「こだわり」は、定型発達児のこだわる程度と訳が違います。「異常なこだわり」と表現されるほどです。
「こだわり」が果たされなかった時に引きおこるパニックのエネルギーも凄まじいです。
しかしそんなこだわりも、発達や療育で変化していきます。
今回は、一人の例として、知的障害を伴う自閉スペクトラム症(自閉症)の息子のこだわりについて、その変化と一部の具体的な内容を書いていきます。
自閉症と自閉スペクトラム症の違い、また引用に出てくる広汎性発達障害については、【自閉症】【自閉スペクトラム症】の違いは?|発達障害、ASD、ADHD などの用語説明もページに詳しく説明していますので、是非あわせてご覧ください。
息子のこだわりは「年中さん」から
幼稚園の年中さん頃です。こだわりは、一気に出てきました。毎日なにかにつけてです。年中の頃までは「こだわり」に困ることなんて全くなかったのにです。
日本自閉症協会の文献でも、「自閉症の年齢と症状」についての(3歳以降の欄の)「就学まで」の項目に下記のように記載されています。
・こだわりが目立ち、「パニック」が始まる
日本自閉症協会「自閉症児者の家族支援の人材養成事業 報告書」2005年
年中の頃から下記のようになり、日常生活に支障が出てきました。
- こだわり項目において、少しでも自分の予定と狂うとパニックになる
- パニックの継続時間は30~1時間半程度
- 比較的冷静な時は、1つめの工程から何度でもやり直したがる
大変だったこだわりの具体例と、どうやって対応したのかは、一番最後の章で記載しますね。
自閉症児が【こだわる】理由
なぜその頃にならないと「こだわり」が目立ってこないのか、そもそも自閉症児が「こだわり」理由は何でしょうか。
理由は、自閉スペクトラム症の「こだわり」はある順序で発達・変化していくからです。詳しくは「自閉症児【こだわり】の発達過程」ページで説明していますので、そちらのページも是非あわせてご覧ください。
パニックが起こると
- 泣きながら駆け出す。外にいれば一瞬で道路に飛び出る勢い
- 人目や声掛け、お菓子、親が怒ることなんて、全く効果なし
- 抱きかかえて車に乗せる時は↓
- 足はバタバタ、車をボコボコ蹴りまくる
- シートベルトは出来たらいい方
- シートベルト出来ずに運転を邪魔してくる時は、大人も叫びながら片手をハンドルから話して、運転しながら腕一本で制圧(時にティッシュボックスを投げつけながら、のどを痛めながら…)
- (チャイルドシートのバックルや車のドアを、自分で開けられなかったのが幸いでした)
向き合い方
療育で対処法を学ぶ
「こだわり」が出てきてからは、親も療育やペアレントトレーニングを通して対処法を学び、自閉症児のための環境設定や家族の生活パターン変更も大きく行う必要がありました。
こだわりは【発動させない】こと
療育の先生や臨床心理士さん、たくさん受けた親向けの講習の先生方、皆さん揃って下記のようにおっしゃっていました。
- 自閉症児のこだわりについては、「こだわり」が起きない環境設定が必要
- 自閉症児に「こだわり」を我慢させることはできない
- ◇なぜ?◇講習会の内容より
- 「こだわり」に対応している限りは、脳のニューロンがその回路を強化してしまう。
- 回避していると回路が弱くなり強いこだわり反応を起こさなくなるのではないかと言われている。
- 「こだわり」が発動してしまったら、その後回避しようとしても遅い。
発動したら【強制終了】
私は息子の「こだわり」が発動したときには、人様に迷惑が掛からなければ、気が済むようにやり直しさせていました。
しかし、外出先や人様に迷惑がかかる場合は、泣き叫ぼうとも「強制終了」と称して抱きかかえ、その場から離れていました。
小さいうちに本人が【対処法】を学ぶ
しかし「抱きかかえての強制終了」は、小さいうちしか使えません。
なので自閉症児は小さいうちに、パニックが起きた時の対処方法をひとつでも多く学ぶ必要があります。
そのため、専門知識が豊富な指導者のもとでの、早期療育が必要になっていきます。
自閉症児のこだわりの対処方法は、本人・養育者ともに、小さいうちに正しく身につけておく必要がある
向精神薬
私は過去3回のみ、息子に頓服の向精神薬(リスパダール)を使用しました。
この薬は、定期的に受診していたてんかん専門医が発達の専門医でもあり、その先生が使用を勧めてくれ処方されたものでした。
先生曰く「パニックが続いている状態は本人も辛いので、パニックが酷い時は使ってあげた方が本人が楽だよ」ということでした。
しかし、私はあまり使えず。理由は、科学的根拠のないイメージで何となくです…。
弱くなっていった
はじまりから【3年後】
今までこだわっていた手順が狂っても「まぁいいか」とパニックにならなくなってきたのは、小学2年生頃です。
「まぁいいか」は支援学校の先生と、なにかにつけて唱えて冷静になる練習を毎日一年以上続けていました。
弱まるとどうなる?
「こだわり」でパニックになった時は、一人で部屋の片隅や布団の中でひっそりと涙を流しながら耐え、譲歩できる条件を探したりしていました。
そして徐々に、学校でなくても「まぁいいか」を一人でも唱えられるようになっていきました。
なぜ弱まった?
発達により認知力が上がってきたことももあると思いますが、「こだわり」を回避する生活や、療育での成功体験の積み重ねが功を奏したと感じています。
また、支援学校の先生からのアドバイスで、親が「息子の【こだわり】に『こだわる』こと」をやめたことも意味があったのかもしれません。
うまく言えませんが、息子がこだわってしまう点を受け入れ、徹底的にこだわらせてあげるという感じです。親に余裕がないと対応できませんが(笑)
完全になくなった?
今でも自閉症児特有のこだわる特性は残っています。
小学5年生でのこだわり例
- 例1)自宅での(ちょっとした)偏食
- 例2)通学バスのバス停までの行き方
- 例3)朝、出かける前の行動パターン
- 例4)お風呂に入る時間
- 例5)寝るときの行動パターン、「おやすみなさい」の母とのやり取り
小学6年生でのこだわり例
- 例1)自宅での(ちょっとした)偏食
- 例2)「おやすみなさい」の母とのやり取り
目に見えないだけかも?
完全に無くなったように見える項目でも、目に見えるパニックが減っただけかもしれません。
そんな言動はちょくちょく感じます。今までの療育経験から、その時の対処法と成功体験の積み重ねによって、自身の中で戦っている状態なのだと思います。
新聞記者・太田康夫さんのご長男の例
朝日新聞記者の太田康夫さんのご長男も、特性の1つとしてこだわりをもつ自閉スペクトラム症のようです。息子さんは2021年の現在では20歳を超えられていますが、トイレへのこだわりが幼少期にはとても強かったのが(今もトイレへの関心は高いものの)昔ほどではなくなっていると述べています。
長男は幼少時からトイレへのこだわりが強かった。百貨店に出かけると、すべてのフロアの男性トイレで「和式か洋式か」「洗浄便座があるか」を確認して回った。付き添う親は毎回、ヘトヘトになった。昔ほどではないものの、今もトイレへの関心は高い。その理由は分からない。
The Asahi Shimbun GLOBE+「自閉症の息子、どんな可能性が 答えを求めて記者が世界を旅する」2017.3.5
大変だった実例・成功した対応方法
以下に、参考までに息子本人・周りが特に大変だった【こだわり】と、対応に成功した方法を記載します。
エレベーター → 引っ越し
- エレベーターの【こだわり】
- エレベーターのボタンを自分で押したい
- 人がいたら乗らない
- 途中で乗ってきた・降りた時に人がいたら(エレベーターに乗ろうとして待っている人)パニックになりながら最初からやり直し
- やり直す際も条件は同様
- 背景
- 当時、エレベーターのある賃貸マンションに住んでいた
- 上記【こだわり】が叶わないとパニックになり、他の方にも気を使わせてしまい、毎日心苦しかった
- 毎日、外出時にも帰宅時にもなので、生活にかなり支障をきたした
対応方法
- エレベーターの【こだわり】対応方法
- 最終的に、住まいは一戸建てを購入し、引っ越し
- 外出先での対応方法
- スーパーなどでは極力エレベーターが見えないルートで歩いた
- 駅にもエレベーターがあるので、何ヶ月間か電車に乗らないようにした
- 避けられないエレベーターの存在(病院など)が問題で、これはパニックになる息子を我慢させるのみ
- てんかんやPTSTのために通っていた病院では、理解のあるスタッフさんの協力や、待ち時間は外などで過ごすなどして何とかしのいでいた
- 対応しきれなかったことも
- 療育の先生の紹介で目の使い方を検査してくれる眼科へ行くことになった時のこと
- 眼科の場所は、クリニックモールの2階、目の前にエレベーター
- 眼科はちょこちょこ呼ばれてはまた待つ、という工程が多くて外で待てなかった
- 病院の壁の角になる隅っこで息子を押さえつけながら待ち続けた
- 患者さんは普通の眼科患者のため、私も耐えられえず、2回で通院を諦めた
対応内容:自宅は、マンションから一戸建てへ引っ越した。外出先では、なるべく避けた。
どうなった?
エレベーターへ乗る機会もあまりなくなり、【こだわり】が目に見えて弱まっていった
小学1年生の頃に大きなスーパーで久しぶりにエレベーターに乗った際、他の人が乗ってきたのですが、やり直さないでいられるようになっていてびっくりしました。
もちろん密かに半べそをかきながら、しばらく耐える時間がひつようながらも、他の行動へ移れるようになっていました。
たくさんたくさん褒めて成功体験へとつなげ、小学3年生の頃には問題なくなっていました。
電車のつり革 → 数ヶ月間、電車に乗らない
- 電車のつり革への【こだわり】
- 電車にのったときは、一瞬でもいいので「必ずつり革に触れたい」
- 背景
- 暇な日は長時間乗ったり、見たり、おもちゃや絵本も電車で「電車は日常生活の一部」になっていた
- 多動な息子でも、電車はいつも大人しく乗っていた
- つり革は、たまに触っていた程度だった
- ある時期から、一瞬でもいいので「必ずつり革に触れる」をしないとすまなくなった
- 療育教室からの帰りは混んでいるため、時に人が多く触れられない時も。すると降りようとする私を横目にラッシュの中で叫び寝転がろうとし、抱きかかえてホームに降りてからも地面で泣き叫び泣き叫び続けた
- 実はその電車も、息子のこだわりで何種類かの車体のうちの「これに乗る」というのを20分以上待って乗るのでそう簡単にじゃあこっちの電車で、とも出来なかった
対応方法
- つり革の【こだわり】対応方法
- パニックになったうちの二度、一度電車から降りて、駅のホームで頓服の向精神薬を息子の口に入れた(効くまでに30分位かかるため、しばらくベンチで抱きかかえて、冷静になった時に何とか最寄りの駅まで乗って帰れた
- その後、数ヶ月間乗らなくし、車移動に変えた
車に乗ってもいろんなこだわりがあり楽ではありませんでした(後述参照)が、人様に迷惑をかけなくてすむというメリットがありました。
どうなった?
療育で学んだ「譲歩」や「事前の約束」がこなせるようになってから再チャレンジ
「電車には乗るがつり革には触らない」という約束をしてから乗車し、見事克服!
車で踏切を通過する時 → 一年以上、言い聞かせ
- 踏切の【こだわり】
- ある時から、電車が通過するのを車からみれないとパニックになる
- その後、エスカレートし、一番前で遮断機が降りないとパニックになる
- 背景
- 週一回ずつ通っていた難治性てんかんの病院、理学療法・言語療法を行ってくれる病院へ行く際、車で踏切を通る
- パニックのレベルは、運転にも支障が出るレベル
- 手先が不器用なため、チャイルドシートから抜け出せない事が救い
対応方法
- 踏切の【こだわり】対応方法
- 毎回、事前に踏切を通過時に「電車が来るか分からない」「来ても遮断機の一番前で停まるタイミングか分からない」と運転中ずーっと唱えながら運転
- しばらくは他の対応策が見つからず(自閉症のこだわりは、お菓子などで解決できるものではない)
- 「仕方ないでしょー!」「うるさーい!落ち着けー!」など喉が痛くなるほど叫びながら病院まで運転
- 駐車場に着いてから「よしよし」「がんばったね」と対応
- その後、数ヶ月間乗らなくし、車移動に変えた
どうなった?
療育の成功体験の積み重ねのおかげか、徐々にその唱えを飲み込み、一年位で大丈夫になっていった
常におもちゃを持ち歩く → 長く続いた
- 常におもちゃを持ち歩く【こだわり】
- その日決めた 「相棒」なるおもちゃを片時も離せなくなり、常に持ち歩く
- 「相棒」であるおもちゃは、面白いことに日替わり。主にプラレールやトミカ
- 背景
- 小さい頃から「電車の絵本」をお出かけの時もずっと持ち歩きたい子ではあったが、普通の子と同じ程度の固執だった
- 【こだわり】になってからは
- 外に出るときも、トイレもお風呂も寝るときも
- お風呂には、プラレールのねじを外し、3両ともカバーを持って行く
- 寝るときは、枕元に置く
- 起きた時に少しでもずれていたら朝からパニック発動
対応内容
- おもちゃを持ち歩く【こだわり】の対応方法
- 基本的に、思うようにやらせた
- 今日の「相棒」が見当たらなくなること「どこー!?泣」とパニック発動
- 通園バスに乗るときは「決めた手提げカバンにいれて母に渡す」という工程を確立させ手放せていた
- お迎え時に母が持って行き忘れたらパニック発動
- パニックが起きてしまった時の対応方法
- 道路に飛び出る勢いのパニックを起こした息子を、何とか抑えこみ、いったん家へ戻る
- パニックが発動した場所(お迎え場所)にわざわざ戻り、「やり直し」をしする
- 「やり直し」が完了したら、やっと徐々に落ち着いてくる
この【こだわり】は長かったです。小学2年生頃まで続きました。おもちゃを全て処分していれば、はやくこだわらなくなっていたかもしれませんね。
息子はADHDの不注意の要素も持っている感じ(あえて診断はしてもらっていませんが)なので、今日の「相棒」が見当たらなくなることが多く、見つけるまでパニックが続くので、本当にストレスでした。(トミカは小さいし、プラレールは電源を入れて一人で遊んだりもするので、いつの間にか隙間やソファーの下にいたり、他のおもちゃにまぎれたり、なかなか見つからない事も多々)
徐々に「まぁいいか」で、何も持って歩かないようになりました。布団で一緒に寝ることに限っては、小学5年生まで続きました。
その他の【こだわり】
他にも数字や時間、手順についての「こだわり」が、日常生活のいたるところでありました。
今回は割愛しますが、それらも生活を送るうえでとても大変でした…。
まとめ
自閉症児のこだわりは、定型発達児のように我慢できたり一度で克服できるものではありません。
こだわりが発動しないように避けたり、親子共々の療育の経験を通して対応することで、息子のようにこだわりが変化することもあるかもしれません。
ひとりの例ですが、どなたかの参考になれば幸いです。
読んで下さってありがとうございました!