【自閉症研究】なぜカナーが注目され、アスペルガーは注目されず?

2020年6月5日

アスペルガー医師はなぜ当時注目されず?

自閉症を簡単に調べると、自閉症の発見・初めての臨床報告は、1943年のレオ・カナー医師の論文によってなされたとされています。

レオカナー医師
画像はWikipediaより

しかし、アスペルガー医師の方が5年も先に、今の “自閉スペクトラム症 と言える子どもたちを定義・報告していのです。

アスペルガー医師
画像はBMCより

このことはあまり知られていないのではないでしょうか。

アスペルガー医師の考えは現在の自閉スペクトラム症の考えに近く、極端に言えばアスペルガー医師の方が正しく見えるのにです。

カナー医師の自閉症の定義は極端で、長い間苦しんだ人が多くいました。

なぜ1943年から1980年代までの40年間もの間、アスペルガー医師の研究報告は注目されず、カナー医師の研究報告と定義が普及していったのでしょうか。

また同時期の研究報告は偶然なのか?必然なのか?

今回はそのあたりの理由を考察してみます。

まずは二人の医師の自閉症報告の時期から見ていきます。

カナーより5年前の1938年に自閉症児の報告をしている

アスペルガー医師が初めて公で自閉症児の報告をしたのは、1938年です。カナー医師の小児自閉症の臨床報告より5年も前です。

詳しくは下記ページで解説していますので、是非あわせてご覧ください。

アスペルガー医師は、その1938年10月3日に開催された研修講座で現在の自閉スペクトラム症に近い2人の少年のケーススタディを使用して「自閉症の精神病者」として報告・説明しています。

1944年の有名な論文は1943年に大学に提出されている

上記のアスペルガー医師の有名な論文は一般的に1944年、つまり1943年のカナー医師による自閉症臨床報告の翌年となっています。

これだけ聞くと、カナー医師の自閉症報告を読んだアスペルガー医師が急いて似た症例を論文にまとめているかのようにも感じます。

しかし事実はそうではありません。

アスペルガー医師はその論文を、カナー医師の論文が発表された1943年にウィーン大学へ提出しています。

二人の自閉症報告が同時期なのは偶然?

二人に交流はない

アメリカのカナー医師と、遠く離れているヨーロッパのオーストリアのアスペルガー医師の交流は全くありません。

アスペルガー医師がカナー医師の自閉症を引用し始めたのは、1944年の論文が発表された後の第二次世界大戦後です。

カナー医師も、かなり長い間アスペルガー医師の研究は知らないという立場をとっていました。カナー医師のいるジョンズ・ホプキンズ大学には、各国の論文情報が入ってはきていたのですが。

カナー医師が唯一アスペルガー医師に触れたのは1970年に出版されたアイザック・クーゲルマス(Isaac Kugelmass)医師による自閉症児の書籍The Autistic Child)の書評欄でした。しかも彼の研究を冷笑するためなのかどうかは分かりませんが、名前の綴りを間違えていたということです。参考:心の研究室「書評 自閉症――10.『自閉症の世界』」

さらにアスペルガー医師、カナー医師ともに、生涯、お互いの症候群は“異なるもの”と主張していました。

これらのことから、長い間この同じ時期の発表は、奇跡的な偶然と思われてきました。

カナーの考えだけが注目

カナー医師はこの頃すでに注目を集めている児童精神科医であり、カナー医師の「自閉症」についての論文が専門家の間で話題になった一方、アスペルガー医師による論文は1980年代まで注目されることはありませんでした

もともと自閉症自体、知ろうとした専門家もかなり限定的なもので、カナー医師の自閉症定義に疑問を呈する機会なく1980年代まではそのまま時が過ぎていきました。

カナーはアスペルガーの研究内容を盗んだ!?

しかし2015年、カナー医師にアスペルガー医師の研究内容を伝えたゲオルク・フランクル(Georg Frankl)医師の存在が初めて明るみに出たのです。

つまりカナー医師はアスペルガー医師の研究内容を盗んで自分の研究として論文を発表したのでしょうか?

そのあたりの事実とフランクル医師については、下記ページで詳しく説明していますので、是非あわせてご覧ください。

なぜカナーが注目され、アスペルガーは注目されず?

なぜアスペルガー医師の先鋭的な研究は世界的に注目を集めなかったのでしょうか?

それは当時の時代背景から説明できます。

ドイツ語の執筆

アスペルガー医師の論文はほとんどがドイツ語で執筆されています。

実はアスペルガー医師が最初に自閉症児の報告をした時代は、カナー医師のいるアメリカよりも、アスペルガー医師がいたドイツ語圏のヨーロッパの方が精神分析が盛んでした。詳しくは「【アスペルガー医師の時代背景】精神分析が盛んだったドイツ語圏のヨーロッパ(後日アップ予定)」ページをご覧ください。

そのため、その頃のヨーロッパの精神医学の論文は英語ではなくドイツ語で執筆されていました。

そのため第二次世界大戦以降、イギリスやアメリカが精神分析の中心になっていった時、英語ではないドイツ語のアスペルガー医師の論文は埋もれたまま時が経っていきました。

今では有名になった1944年の論文「小児期の “自閉的な精神病者は、アスペルガー医師が亡くなった翌年の1981年、英語の論文であるウィング医師「アスペルガー症候群:臨床報告」に取り上げられ、1991年のロンドン大学ユタ・フリス教授(Uta Frith)の論文「アスペルガーと彼の症候群(Asperger and his syndrome)」によって英語に翻訳され、徐々に世界中の専門家から注目を集めていったのです。

戦争・ナチス政権の影響

資料の喪失

アスペルガー医師の有名な1944年の論文が発表された時は第二次世界大戦中でした。

ちょうどその年にアスペルガー医師が設立した小児クリニックも爆撃の影響で破壊され、共に子どもの治療にあたっていた敏腕姉妹も亡くなり大量の患者の記録や資料も消失しています。

ナチス政権の影響

戦争前のオーストリアは科学に基づいた精神分析が盛んで、世界で初めて困難な子どもたちを見捨てることなく治癒教育を推進していた国でした。

しかし、第二次世界大戦中にオーストリアはナチス・ドイツと併合し、ヒトラー政権が指揮する精神医学に従わざるを得なくなっていきまいた。

優生学という考えに基づき、精神障害者や障害児を排除、つまり対象者の強制避妊手術や安楽死が秘密裏に行われて行きました。

そのため、第二次世界大戦後は他のナチス政権支配下にあった国と同様、オーストリアの精神医学も批判の的となりました。

そのような背景のあるドイツ語論文が脚光を浴びることがなかったことは容易に想像ができますね。

まとめ

今回は

  • 自閉症を発見したとされているカナー医師より前に自閉症児の研究報告をしていたアスペルガーの研究はなぜ注目されなかったのか?
  • 二人の医師の同時期の臨床報告は偶然なのか

という点について簡単に書いていきまいた。

しかし時代背景による影響が大きく、それはとても簡単に語れるものであはありません。

より深く知りたい方はアスペルガー医師についての記事(上部にリンクあり)をお読みください。

読んで下さってありがとうございました!