自閉症|80年の歴史まとめ|自閉スペクトラム症にまとめられるまで
自閉症の歴史は、とても浅いということをご存知ですか?たった84年前です。今回は、自閉症が初めて臨床報告されてから、自閉スペクトラム症に統合されるまでの歴史を解説します。
概要
- 1938年:
- ハンス・アスペルガー医師が自閉症児について講演、医学誌に掲載
- 注目されず
- 1943年:
- アスペルガー医師が「小児期の?自閉的な精神病者”」という論文をウィーン大学へ提出
- 発表は1944年
- 1943年:
- レオ・カナー医師が「自閉症」初報告
- 注目され「自閉症」の初定義とされる
- 現代では「古典的自閉症」「カナータイプ」などと呼ばれている
- 1944年:
- アスペルガー医師の上記論文がウィーン大学より発表される
- やはり注目されず
- 1981年:
- ローナ・ウィング医師が1944年のアスペルガー医師の論文↑を再発見
- 「アスペルガー症候群」の命名・定義
- 注目される
- 1998年:
- ローナ・ウィング医師が「自閉スペクトラム症」の考えを提唱
- 2013年:
- アメリカ精神医学会のDSM-5にて「自閉スペクトラム症」としての定義が採用、世界的に認識が広まる
- 2015年:
- 1938年にアスペルガー医師の同僚がカナー医師のもとへ亡命したことが明らかになる
詳細
1938年:アスペルガー医師「自閉症」報告(注目されず)
オーストリア・ウィーン大学小児クリニックの治癒教育部門の責任者ハンス・アスペルガー医師が1938年10月3日に開催された研修講座で現在の自閉スペクトラム症に近い2人の少年のケーススタディを使用して「自閉症の精神病者」として報告・説明しています。→詳細
中央ヨーロッパ医学ジャーナル(Wiener Klinische Wochenschrift)にも掲載されましたが、注目はされず世間的にもあまり知られていません。
◇参考◇【自閉症の初報告】なぜカナーが注目され、アスペルガーは注目されず?
1943年:アスペルガー医師「自閉症」論文提出(発表は1944年)
ナチス政権下では障害児の安楽死計画が実行され、有名なシュピーゲルグルントへの障害児移送にも関与していたと言われているアスペルガー医師は、その頃ウィーンの公衆衛生局で「異常な子供たち」の医療専門家としても働いていました。
そんな彼は、1943年にウィーン大学へ「小児期の?自閉的な精神病者”」という論文を提出しました。大学を通しての論文発表は、下記のカナーによる自閉症報告の翌年1944年でした。内容は1944年の項目で記載しています。
1943年:カナー医師「自閉症」定義(注目された)
1943年、アメリカ・ジョンズ・ホプキンズ大学の児童精神医学部門の創設者レオ・カナー(Leo Kanner)医師により自閉症児の臨床報告が行われました。
翌年に発表された「小児自閉症」を定義する論文は注目を集め、現在の自閉症研究の原点となりました。
そのため、カナーによるこの報告内容が、一般的に「自閉症」の初定義と見なされています。現在ではよく「古典的自閉症」「カナータイプ自閉症」と呼ばれています。
極端に限定的な症例
彼の定義した自閉症は、下記のように極端に限定的な症例でした。
- 論文名:「情緒的接触の自閉症障害」(“Autistic Disturbances of Affective Contact“, Nervous Child, 2, pp.217-250.,(1943))
- 11人の独特な症状を持つ子ども達を報告
- 子どもたちの特徴
- 親の呼び掛けにも反応しない
- 他者へ意識を向ける社会的本能がない
- 言葉を他者とのコミュニケーションツールとして使用しない
- 同一性保持の強迫的執着
- (予期しない)変化への激しい抵抗
- 一部には潜在的な特殊な能力を持つ者もいる
- 特にドナルド・トリプレット(Donald Triplett)氏は一人目の症例として、他の症例よりも多くのページを割いて報告されている。
原因は親のせいと誤った定義
カナーの問題点は、上記の論文内で自閉症を「先天的」と表記はしたものの、原因を冷静で冷酷な親による愛情不足と育て方にあるとしていたことです。参考:THE LANCET “Leo Kanner, Hans Asperger, and the discovery of autism“
そのせいで「身内に自閉症児がいる」ことは長年にわたり一族の苦悩の種となってしましました。
隠され続けた自閉症
そのため当時は、自閉症が治療(今でいう療育)の対象になることもなく、早い段階から施設へ送られ、その子たちの存在も、自閉症の概念も、世間一般には知られないままでした。
1944年:アスペルガー医師「自閉症」論文発表(注目されず)
1943年にアスペルガー医師がウィーン大学へ提出した上記の論文が発表されました。
- 論文名:「小児期の?自閉的な精神病者”」(ドイツ語”Die ?Autistischen Psychopathen” im Kindesalter“, Hans Asperger, Archiv fur Psychiatrie und Nervenkrankheiten volume 117, pages76?136 (1944))
- ウィーン大学に来る4人の独特な症状を持つ子ども達を報告
- 子どもたちの特徴
- 会話はできる子がほとんどだが一方的
- 他者と共感する能力に欠け、友人関係を築けない
- 特定の興味に極度に没頭し、強いこだわりをもつ
- 身体の使い方が不器用である
- 知的レベルは高い子から”弱い”と表現される子まで
- 男児
- 論文名に自閉的(ドイツ語でAutistischen)という用語が使用されているが、カナー医師の定義する自閉(英語でAutistic)とは異なり、統合失調症の無為自閉のようなものという自閉。
- 後にローナ・ウィング医師に「アスペルガー症候群」と定義されるきっかけになった論文
カナー医師との違い
スペルガー医師の自閉症報告で、カナー医師と最も違う点は、下記の2点です。
- 自閉症を天才から障害まで多種多様で幅広い連続体としている
- 原因は遺伝によるもの(家族、特にそれらの特徴を持つ父親のいる家庭で発生する傾向がある)と考えていた
この論文は注目されず
現代の情報をもってすれば、カナー医師の定義とアスペルガー医師の定義、どちらが自閉スペクトラム症に対してより近いかは、一目瞭然でアスペルガー医師の定義なのですが。
当時はアスペルガー医師の論文はあまり注目されず、カナー医師の論文が注目されたのです。理由はこちらのページにて。
1981年:ウィング医師「アスペルガー症候群」命名・定義
長年注目されなかった1944年のアスペルガー医師の論文を、37年後に広く注目をさせた人物はイギリスの精神科医ローナ・ウィング(Lorna Wing)です。
自身も重度自閉症児の親であり、自閉症について研究を重ねている際に、自分の研究内容と重なるような内容の30年以上前のドイツ語で書かれたアスペルガー医師の論文を再発見しました。そしてアスペルガー医師の論文についても触れ、下記の論文を発表しました。
- 論文名:「アスペルガー症候群:臨床報告」(“Asperger’s syndrome: a clinical account“, Psychological Medicine, Volume 11, Issue 1, February 1981, pp. 115-129)
- 彼女が研究した34症例とアスペルガー医師の症例を報告
- 彼らを「アスペルガー症候群」と定義
- 「アスペルガー症候群」はカナー医師の定義する小児自閉症と共通し、区別する必要はないのではないか
- カナーが定義した自閉症より遥かに幅の広い自閉症児が大勢いる
- カナーの定義している原因には証拠がない
→論文の詳細内容はこちらのページにまとめました。
ウィング医師によるこの研究以降、専門家の間でアスペルガー症候群が徐々に注目されるようになりました。
1988年:自閉症の認識が世間に広がる
一方、世間一般には自閉症自体があまり知られていないものでした。
そんな中、1988年にダスティン・ホフマンとトム・クルーズが主演した「レインマン」という映画が公開されました。自由奔放な青年と重度自閉症(サヴァン症候群)の兄との出会い、兄弟愛、人間の変化を描いたヒューマンドラマで、翌年にはアカデミー賞・ゴールデングローブ賞をはじめ多くの受賞しました。
この映画のヒットをきっかけにして、専門外の医師や一般の人々も自閉症について広く認識され始めたと言われています。
1991年:フリス教授「アスペルガー」についての論文発表
1991年にロンドン大学のユタ・フリス(Uta Frith)教授が「アスペルガー」についての論文を発表しました。
- 論文名:「アスペルガーとアスペルガー症候群」(“Asperger and his syndrome", U. Frith (1991), pp. 1-36. Cambridge: Cambridge University Press.)
- 1944年のアスペルガー医師のドイツ語の論文を英訳
- アスペルガー症候群についての研究報告
- アスペルガー医師自身の幼少期のことから、医師としての活躍
彼女の論文により、より多くの人がアスペルガー症候群について注目をするようになりました。
1998年:ウィング医師「自閉スペクトラム症」概念提唱
自閉症の認識は広がっている
この頃には「知的障害を伴うようなカナータイプの自閉症」については、認識も高まり、社会的サポートも徐々にですが浸透していました。
取りこぼされている人々がいる現状
一方、知的障害を伴わないようなアスペルガー症候群については、まだ十分ではありませんでした。
また、カナータイプでもアスペルガータイプでもないが、当時の自閉症の診断基準となる3領域の障害をもつ人がいることも分かっていました。
※知的障害や自閉症の関係性については下記ページにて詳しく説明していますので、そちらをご覧ください。
- ◇参考◇知的障害や自閉症の関係性の記事
区別しない概念を
そこで先述のローナ・ウィング医師は、1998年に「自閉スペクトラム症:親と専門家のためのガイドブック」(The Autistic Spectrum: A Guide for Parents and Professionals)という本を出版し、重度から高機能までの自閉症をスペクトラムとしてとらえる概念を提唱しました。
彼女は、一見自閉症とは分からない人たちも「正しく社会的サポートが受けられるように」「境界線を設けることのないように」と晩年まで提唱し続けました。
2013年:自閉スペクトラム症にまとめられる
彼女の提唱は世界的に認められ、2013年にはアメリカ精神医学会の発行する操作的診断基準【DSM-5】で採用されました。
そこでは自閉症、アスペルガー症候群の用語はなくなり、それらが区別されることなく、ただ1つの障害名として「自閉スペクトラム症」となりました。
2015年:アスペルガー医師の同僚の亡命事実判明
アスペルガー医師の自閉症研究や発表については知らないという立場を取っていたカナーですが、実はある人物から情報を得ていたことが2015年の研究発表で明るみに出て一部世間を騒がせました。→詳細
現在に至る
上記の流れにより、自閉スペクトラム症の認識と概念は世界に広く知れ渡たるようになり、現在に至っています。
自閉スペクトラム症の診断基準については、下記ページに詳しく解説していますので、ぜひ併せてご覧ください。
80年の歴史は浅い?
80数年前と聞くと、とても昔の印象がありますよね。自閉症が初報告された1943年は、和暦では昭和18年。時代背景は第二次世界大戦中です。そこまで古いと立派な歴史に思えます。
しかし、医学的にはとても浅いのです。例として、よく知られている「がん」は紀元前400年頃から、「知的障害」は紀元前500年頃から医学書に登場しています。
自閉症定義の80年という歴史が非常に新しいことが分かります。
世界で初めて自閉症と診断された方
歴史が浅いゆえ、世界で初めて自閉症と診断された方は、まだ生きてらっしゃいます。(2022年6月現在)
世界で初めて自閉症と診断されたのはアメリカ人男性のドナルド・トリプレット(Donald Triplett)氏です。
自閉症の定義者であるカナー医師により「自閉症」と最初に診断されたアメリカ人男性です。1933年9月8日生まれの彼は2022年6月現在、88歳でご健在です。
小さい頃は親の呼び掛けにも反応しなかった彼は、サヴァン症候群であり、特にピアノで演奏音符を付ける能力、迅速な乗算能力を持っています。
当時としては珍しく、両親や周りの人に恵まれました。
高校は地元の学校、大学はMillsaps大学で学士号を取り卒業。仕事は銀行で出納係をお勤めでした。車の運転も好きで世界中を旅行しています。
定義前の自閉症の人々は?
「自閉症」が定義される前から、自閉症の症状を持つ人々はもちろん存在していました。
記録のある遠い昔しの話としては、今から220年以上前の1800年頃でも見られます。
アヴェロンの野生児としてご存じの方もいるかもしれませんが、彼は12歳の時フランスの森で裸の状態で捕虜され、カナー医師が定義した自閉症にとてもよく似た特徴を持っていました。
教育の臨界期を過ぎてしまったせいか、自閉症だったのかは分からないとのことですが。
その頃の時代には、何人もの野生児が発見・捕虜されたという報告もあります。
さいごに
初めて自閉症と診断されたの方と同じ時代を生きているなんて驚きでした。
いかに自閉スペクトラム症についての研究の歴史が浅いかが分かりましたね。
最後まで読んで下さって、ありがとうございました!