【アスペルガー医師】に影響を与えた先鋭的な医師たちとは?

2020年6月12日

先鋭的な医師たち_eyecatch

なぜアスペルガー医師は、自閉症を発見したとされているカナー医師よりも先に、そしてカナー医師よりも現代の自閉スペクトラム症に近い自閉症児の研究報告が出来ていたのでしょうか?

そこにはアスペルガー医師に影響を与えた多くの医師達の存在が非常に大きく関係しています。

アーウィン・ラザール(Erwin Lazar)医師

彼の存在は、アスペルガーの自閉症の考え方のみならず、オーストリアの治癒教育に多大なる影響を与えています。

ラザール医師(1877~1932年)は、1911年にウィーン大学小児クリニックの治癒教育部門を創設した小児精神医です。

また、医学部時代のアスペルガーの教師でもありました。

アスペルガー医師がそこで働き始めた時には彼はいませんでしたが、ラザール医師の精神は治癒教育部門の職員に引き継がれていました。クリニックの仕事は子供たちを理解し、助けたいという願望によって統治されるべきであるというのが浸透している精神でした。

1918年から1925年までは、新しく設立された連邦公衆衛生省の保健部門でコンサルタントを務めています。 彼にとって、精神障害のある若者に対する職業カウンセリングも重要でした。

そして1925年に発表した「治療的教育の医学的基盤」(“Die medizinischen Grundlagen der Heilpädagogik")という論文にも表れてるラザール医師の先駆的な仕事は、彼の学生で後継者のアスペルガー医師によって続けられたといいます。 参考:Wien Geschichte Wiki “Erwin Lazar" 2018.3.26

アスペルガー医師が治癒教育部門に来た1932年に胆嚢手術後の心不全で亡くなりました。

クレメンス・フォン・ピルケ(Clemens von Pirquet)教授

ピルケ教授は (1874~1929年)、ウィーン大学病院に入院している子どもたちに教育する制度の導入を求め、治癒教育部門の創立のきっかけを作った医師です。

ピルケ医師(1874~1929年)と患者 画像はWikicommons “Clemens von Pirquet“より

「アレルギー」という用語を提唱した小児科医の科学者でした。科学的発見を直接、子供の世話の改善に役立てていました。特に第一次世界大戦中およびその後の小児科の社会的、栄養的、および公衆衛生の側面の研究も開拓しました。

フランツ・ハンバーガー(Franz Hamburger)医師

アスペルガーが医師になったとき、ウィーン大学小児クリニックの責任者は、(その1年前から)ピルケ教授の後継者としてハンバーガー医師が勤めていました。

フランツハンバーガー医師
ハンバーガー医師(1874~1954年)画像は Wien Geschichte Wiki “Franz Hamburger“より

ハンバーガー医師は、1906年から小児科医として働いていた彼は、1916年にグラーツ大学で小児科の教授になり、ピルケ教授が亡くなった後の1930年にウィーン大学小児クリニックに招待され、第二次世界大戦が終わる1945年まで院長として働きました。

1914年から1916年までは第一次世界大戦でセルビアとイタリアとの戦闘に軍医として参加しています。

熱心なナチスの社会的思想を持ち、ナチス・ドイツとの併合前の1934年からウィーン大学医学部のナチ党(NSDAP)首長の一人になりました。

アスペルガー医師は、自身の信念によりゲシュタポ(ドイツ警察秘密警察部門)に2度も逮捕されそうだったところをNSDAPのハンバーガー医師に救われています。

ナチス政権が危機になるとNSDAPだったことから圧力を受けウィーン大学小児クリニックから去り、オーストリア内のヴォクラブラックの子供病棟で管理者として働きました。参考:wikipedia ”Franz Hamburger

ヴィクトリン・ザック(Viktorine Zak)看護師

ラザール医師が築いたウィーン大学小児クリニックの治癒教育部門は比較的平等主義的であり、女性は重要な役割を担っていました。

ヴィクトリンザック看護師
ザック看護師

中でも毎日の遊びとレッスンは、アスペルガーが天才と称した女性、ヴィクトリン・ザック看護師が教育ディレクターとして主導しました。

彼女の直感的な診断スキルと教師としての治療効果は伝説的でした。

彼女は30年間病棟で過ごし、その理論と技術の多くを生み出しました。

看護師たちのアパート 画像はWikimedia Commonsより

彼女の思いやりとオープンエンドのアプローチで知られるザックは、現在も使用されている遊びベースの療育を開発しました。

ヴィクトリンのプログラムは、リズムと音楽を使用して、レッスンで毎日始まりました。イベントや歌の劇的な制定が行われました。適切な学校のレッスンと言語療法もありました。

悲劇的なことに、1944年に戦争の爆弾によって病棟が破壊されたとき、ヴィクトリネザックは亡くなりました。

ヴァレリー・ブルック(Valerie Bruck)医師

アスペルガー医師の前任者は、ヴァレリー・ブルック(1894~1963年)というカトリック教徒の女性医師でした。

彼女はハンバーガー医師が来るまでの2年間、ウィーン大学小児クリニックを管理するほどの人物でしたが、ハンバーガー医師は働く女性にも敵意を示していたのです。

これは、1934年からナチス・ドイツ併合まで続いたオーストリアのファシズム運動(オーストロファシズム)も影響しています。

ゲオルク・フランクル(Georg Frankl)医師

フランクル医師は、アスペルガー医師より5年前の1927年から治癒教育部門で働いていた9歳年上の優秀な医師です。

フランクル医師は1987年、オーストリア-ハンガリー帝国のチェコのユダヤ人の農家に誕生しました。

ウィーン大学医学部卒業後、ウィーン大学の小児神経医として働き、小児神経医学と画期的な診断方法についての多くの論文を発表し、病院での治療にも利用されていました。

フランクル医師は、自閉症の子供たちを

  • 話し言葉の感情的な内容をよく理解していない
  • 社会的な雰囲気を感じず、順応できない

と説明しました。また、この状態は病的ではなく「機能不全」であると主張したが、より深刻な影響を受けた子供たちが「自閉症で閉じ込められている」ことを認めました。

フランクル医師もラザール医師の教え子で、ラザール医師の最先端の治療アプローチと信念は、フランクル医師にも引き継がれてました。参考:Research Gate “The Forgotten Pioneers: The Life and Work of Anni Weiss and Georg Frankl (updated!)" Dluzak, Samantha. (2019). DOI : 10.13140/RG.2.2.24369.12649/1.

ユダヤ人という点を除いては、彼を差し置いて若手で経歴もないアスペルガー医師が昇進したのは、説明し難いことでした。

アメリカへの亡命

アスペルガー医師の治癒教育部門の責任者抜擢から2年、1937年にフランク医師は、当時反ユダヤ人扇動の場であったオーストリアを去りました。

その際、何百人ものユダヤ人医師がドイツやオーストリアから移住するのを支援していたオーストリア生まれのアメリカ人の小児精神科医であるレオカナーの助けを借りて、アメリカへ亡命しました。

そしてカナー医師のもとへ

彼はカナーの個人的なスポンサーのもと、入国ビザを取得し、1938年、カナー医師のいるジョンズ・ホプキンズ大学の病院に勤めることになったのです。

そうです、このフランク医師によって自閉症の知識カナー医師に渡ったり、カナー医師もフランクル医師とワイス心理士の知識を大いに利用したことが2015年に初めて分かりました

そのことを調べたのはアメリカ人ライターのスティーブ・シルバーマン(Steve Silberman)です。2015年に出版した彼の本は、ノンフィクションのベスト作に贈られる英国の年間ブック賞(2015年当時サミュエルジョンソン賞)を受賞しています。

アスペルガー医師の画像を背景に講演する青シャツのシルバーマン氏 画像はTED日本語 – スティーヴ・シルバーマン: 忘れられていた自閉症の歴史 より

アニー・ワイス(Anni Weiss)心理士

治癒教育部門で働いていたアニー・ワイス(Anni Weiss)(1897~1991年)心理士は、子どもの精神検査、心理的診断、心理療法、カウンセリング、両親と教師へのガイダンスなどを担当し、アスペルガー医師やフランクル医師と共に働いていました。

ワイスは社会的な課題を持つ子供たちについて、アスペルガー医師が1938年に「情動的交流の自閉的障害」についての講演を行う3年前の1935年に、アスペルガー医師が述べたのと同じ観察をし長い記事を書いています。

その中で自閉症の少年、ゴットフリード(Gottfried K)を

  • 「虚弱」で、「ぎこちない」と表現
  • いじめらやすい
  • 彼の社会的不規則性は「ナイーブな無意識」からきている
  • 治癒教育部門のスタッフは当初「不注意でやや無礼」な答えに戸惑ったが、彼が「失礼になりたくない」と思っていることが分かった
  • 誰に対しても悪意を持ったことはない、憎しみや嫉妬を感じたことはない、人類への完全な信頼を持っている
  • 彼の周りで何が起こっているかを細かい感じで把握することができない
  • 他の人が社会の機械で自然に行うこと(認識・理解・行動)は、彼の中で本来あるべきように機能していない
  • 誠実で無実の人物であり、疑いもない

とゴットフリートを共感的に説明し、"He is good"(彼は良いです)と結論づけていました。

また、ゴットフリードのような子どもたちの中には、狭けれどもが後に彼らの生活を助けるであろう異常なスキル(カレンダーの専門家、数字のスキル、記憶術のアーティストなど)がある。その程度は限られているが、平均的な男性の能力を超えることがよくあると指摘しています。

ユダヤ人だったワイス心理士は、1934年にウィーンを去り、アメリカ・コロンビア大学の児童指導部で準職に就きました。

後にフランク医師とワイス心理士はアメリカで結婚し、精神科ソーシャルワーカーとしてのワイスは、子供のための習慣クリニックを主導するようになりました。

まとめ

このようにアスペルガー医師は、精神分析が盛んだったオーストリアを背景に、先人から多くの影響と知識を受けていたのです。

決して一人で現代のアスペルガー症候群と言われる自閉症を発見したわけではありません。

アスペルガー医師のバックグラウンドを知ることで、より自閉症の歴史を探ることができますのでそちらもご覧ください。

読んで下さってありがとうございました!

参考

オープンエンドのアプローチとは?

問題には多くの正解と、いくつもの正解への方法があるとする、直訳すると自由回答形式のアプローチ方法です。指導者はこどもの声に耳を傾け、子どもが自分の課題を示すだけでなく、答えを得る方法や方法を選択した理由を説明するようにします。指導者と(時に他の子どもと一緒に)話し合い、子どもが自分の思考方法を示し、解決までのプロセスで何か新しいものを見つける経験も得られます。近年、日本やアメリカでも数学を教えるための高度なスタイルとしても広く認識されているスタイルです。

参考:Scientific Research An Academic Publisher Teacher’s Listening in Teaching Mathematics Using an Open ApproachKanjana Wetbunpot, Narumol InprasithaCreative Education, Vol.6 No.14, August 19, 2015. DOI: 10.4236 / ce.2015.614160 

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