【アスペルガー医師の時代背景】精神分析が盛んだったドイツ語圏のヨーロッパ

2020年6月12日

アスペルガー医師の幼少期から学生時代を過ごした20世紀初頭、ドイツ語圏のヨーロッパでは精神分析が盛んでした。

当時、アメリカでは精神分析がまだあまり行われていない時代のことです。

今回はアスペルガー医師の時代背景となるヨーロッパでの精神分析について書いていきます。

精神分析が盛んだったドイツ語圏のヨーロッパ

「精神分析」のはじまりはオーストリアの神経科医フロイト

フロイト医師
フロイト(Sigismund Schlomo Freud)医師(1856年~1939年)画像はWikipedia “Sigmund Freud“より

「精神分析」は、19世紀末頃、現在の心理療法の理論を構築したジークムント・フロイト(Sigismund Schlomo Freud)医師により名付けられ、彼がその方法を開発しました。

国際精神分析協会(IPA)もフロイト医師による設立

精神分析の普及・発展を目的とした団体である国際精神分析協会(IPA)もフロイト医師により1910年に設立されました。

現在、団体12000人を超える会員、70を超える構成団体を傘下に持ち、国際学会の開催、協会誌の発行、精神分析家の訓練と認定を行う、精神分析界では世界最大の団体です。

ハンガリーの精神科医であるフェレンツィ・シャーンドル(Ferenczi Sándor)によって組織化が提案され、フロイト医師により設立されたIPAの初代代表は、「ユングの分析心理学」で有名なスイスの精神科医・心理学者カール・ユング(Carl Gustav Jung)医師です。

フロイト(Sigismund Schlomo Freud)医師とは?

当時ヨーロッパで中心的存在として活動していたフロイト医師とはどんな人物なのでしょうか?

当時の時代背景の手がかりのために20代後半からのフロイト医師について、簡単に説明します。

25歳の1881年にウィーン大学を卒業、29歳の1885年にパリへ留学し、催眠術とヒステリーの研究で有名だった神経学者ジャン=マルタン・シャルコーのもとで催眠によるヒステリー症状の治療法を学びました。

ヒステリーについて、臨床講義を行うシャルコー(Jean-Martin Charco医師)(1887年)
ヒステリーについて臨床講義を行うシャルコー(Jean-Martin Charco医師)(1887年)

シャルコーは神経症は器質的疾患ではなく機能的疾患であると説き、そこでフロイト医師はウィーンで学んだ古い認識が一新されました。このころの彼の治療観が、のちの除反応(ドイツ語:Abreagieren)というトラウマの分析方法論や、催眠暗示の方法から人間の意識には「無意識」があるという発想につながりました。

翌年の1886年にフロイトはウィーンで個人開業し、臨床研究として催眠術を使用し始めました。

フロイト医師の病院のアプローチ
フロイト医師の病院のアプローチ

精神分析の開発

その後1896年までに、彼は「精神分析」という用語を使用、1899年には「夢の解釈("Die Traumdeutung“)」を、1901年にはフロイト著作の中で最も有名な「日常生活の精神病理学Zur Psychopathologie des Alltagslebens“)」を、1905年には「ジョークと無意識との関連("Der Witz und seine Beziehung zum Unbewußten“)」などその他にも非常に多くの論文を発表しています。

最も有名であろう「日常生活の精神病理」ドイツ語表紙
最も有名であろう「日常生活の精神病理」ドイツ語表紙

自然科学者として、彼の目指す精神分析はあくまでも「科学」で脳神経の働きと心の動きがすべて解明されれば、人間の無意識の存在はおろか、その働きについてもすべて実証的に説明できると彼は信じていたました。

講義を行うようになる

そんなフロイトは、1880年代半ば以降、毎週土曜日の夜にウィーン大学の精神科病院の講堂で、少数の医師達に定期的は講義を行いました。

他の医師達と会議を行うようになる

1902年の秋からは、毎週水曜日の午後8時半から、フロイトの研究に関心を示した多くのウィーンの名だたる精神科医たちが彼のアパートに集まり、精神分析的治療と精神分析理論に焦点を当てた議論が繰り広げられました。

水曜日心理学会が会議を行ったフロイト医師の病院の待合室
水曜日心理学会が会議を行ったフロイト医師の病院の待合室 画像はWikipedia"Psychologische Mittwochs-Gesellschaft"より

国際精神分析協会(IPA)の設立

このグループは水曜日心理学会(Psychologische Mittwochs-Gesellschaft)と呼ばれ、1910年に国際精神分析協会(IPA)として設立し、世界的な機関へと発展しました。

1922年のフロイト医師と国際精神分析協会委員会
1922年の委員会:(左から右へ)オットー・ランク、ジークムント・フロイト、カール・アブラハム、マックス・アイティンゴン、サンドール・フェレンツィ、アーネスト・ジョーンズ、ハンス・サックス

統合失調症を定義したブロイラー医師との関係

統合失調症を定義したスイスの精神科医オイゲン・ブロイラー(Paul Eugen Bleuler)とも連絡を取っており、お互いに尊重し合っていました。

ブルーラー医師は頻繁に転載される精神医学の1916年の教科書で彼を好意的に引用しています。

アメリカへの精神分析普及活動

フロイトは、英語圏に精神分析を広めるために1909年9月にアメリカ・クラーク大学で、精神分析について5回の講義を行いました。

1909年フロイト医師_クラーク大学前での集合写真
1909年クラーク大学前での集合写真 。前列:ジークムント・フロイト、スタンレー・ホール、カール・ユング。後列:アブラハム・ブリル、アーネスト・ジョーンズ、サンドール・フェレンツィ

このことでフロイトが名誉博士号を授与、つまり、フロイトの作品が初めて公に認められ、幅広いメディアの関心を集めました。フロイトの聴衆には、著名な神経学者・精神科医であるハーバード大学のジェームズ・ジャクソン・パットナム(James Jackson Putnam)教授が含まれていました。

パットナム教授によるフロイトの研究に対する公的承認は、米国における精神分析的原因の重要な突破口となり、彼の英語訳論文が1909年から登場し始めました。

第一次世界大戦後のフロイト医師

1918年以降のウィーンでは戦争神経症の患者がとても多く出ていました。

フロイト医師をはじめ精神分析医によって無料でも治療を行っていたといいます。

晩年のフロイト医師

ユダヤ人であったフロイト医師は、ユダヤ人迫害から逃れるために82歳の1938年にイギリスへ亡命しています。

翌年1939年に、1923年から患っていた口とあごの癌の末期症状である激しい痛みに耐えられなくなり、本人の日希望と家族会議の末、モルヒネ投与で生涯に幕を閉じました。

アメリカとの比較

話しを戻して当時ヨーロッパでの精神分析の状況についてです。

アメリカよりもドイツ語圏のヨーロッパの方が精神分析が盛んなことは、上記のフロイト医師の活躍の他にも、出版物での「自閉」を意味するドイツ語と英語の単語数に見えています。

自閉症の単語頻度_ドイツ語と英語
1900-1960ドイツ語と英語における「自閉症」の単語頻度 画像・参考:Stuart Neilson Blog “Historical context of Asperger’s first (1938) autism paper" 2017.6.13 より

ドイツ語での「自閉」

「自閉」を意味するドイツ語「Autistischen」は、1908年にドイツのEugen Bleuler医師が統合失調症を定義したころから使われ始めました。自閉症の「自閉」とは異なり、統合失調症の「自閉」(下記項目参照)をさしています。

第一次世界大戦が終わった1918年以降、戦争神経症の患者があふれたことから急激に増えています。

英語での「自閉」

英語では、カナー医師が自閉症を定義した1943年ころから、いわゆる自閉症の「自閉」が増えていきます。

それまでは、ドイツ語圏で使われていた統合失調症での「自閉」の翻訳です。

ちなみに、第二次世界大戦後の1945年以降は、アメリカでも精神分析が盛んになりました。

現在、自閉症の国際診断基準になっているDSMは、戦争神経症をきっかけに米陸軍がアメリカ精神医学会に精神医学的介入を依頼したことから始まりました。詳しくは下記ページをご覧ください。

アメリカはその後、精神医学の研究量を他国から大きく引き離し、今では英語の「自閉」はドイツ語の約8.5倍にものぼります。

アスペルガー医師が使用したドイツ語での「自閉症」の意味とは?

自閉症の「自閉」とは異なり、統合失調症の陰性症状(あった機能が失われてしまう症状)のうちの無為・自閉(意欲や感情が失われ、対人関係にも障害をきたし、気力もなくなり引きこもったり、呼び掛けにも反応しなくなってしまう状態)のような「自閉」をさします。

統合失調症とは、1912年にフロイト医師も認めていたスイスの精神科医オイゲン・ブロイラーPaul Eugen Bleuler)がドイツ精神医学会の会議で発表・定義した精神障害です。

オイゲン・ブロイラー医師
オイゲン・ブロイラー医師 画像はwikipedia「オイゲン・ブロイラー」より

統合失調症は、その先駆けとして1907年にエミール・クレペリン医師が定義した早発性痴呆を、2011年に統合失調症(当時は精神分裂病)とし、定義を改訂・拡張したことからはじまります。

参考:"Paul Eugen Bleuler and the Birth of Schizophrenia (1908)". Fusar-Poli, Paolo; Politi, Pierluigi (2008). American Journal of Psychiatry. 165 (11): 1407. DOI: 10.1176 / appi.ajp.2008.08050714

統合失調症の「自閉」とは、陰性症状(あった機能が失われてしまう症状)のうちの無為・自閉(意欲や感情が失われ、対人関係にも障害をきたし、気力もなくなり引きこもったり、呼び掛けにも反応しなくなってしまう状態)のようなものをさします。

統合失調症は、20歳前後からおこりやすい病気です。幻覚や妄想といった陽性症状が先行して、無為、自閉、感情鈍麻といった陰性症状が長く続くのが典型的な経過です。

茨城大学保健管理センター こころの健康「統合失調症」精神科医 布施泰子

まとめ

アスペルガー医師がウィーン大学の医学部へ進んだのは、上記のような精神分析が盛んな時代でした。

ナチス・ドイツによるオーストリア統合により、科学的に分析されていた精神医学分野が、優生学に準拠したものに変わってしまう前に医学を学び医師として活動できたことは、彼のキャリアの上でも大きな部分です。

これでまたひとつ、アスペルガー医師が一人で現代のアスペルガー症候群という自閉症について研究・発見したのではないことが分かりました。

アスペルガー医師は、上記のフロイト医師やブロイゲン医師の他に、多くの医師らからも影響を受けています。

読んで下さってありがとうございました!