【DSM】が創刊されるまで
今回は、1952年に創刊された国際的な操作的診断基準である【DSM】が創刊されるまでの歴史を見ることで、精神障害分野の見地を深めます。
【ICD】【DSM】についてまだよく分からない方は「ICD-10、DSM-5 って何?違いは?わが子の発達不安と関係ある?【ICD/DSM シリーズ①】」ページで詳しく解説していますので、まずはそちらをご覧ください。
【DSM】が創刊されるまでの歴史
時代背景
精神障害を分類する研究は、【DSM-I】が作成されるよりずっと前から存在していました。
たとえば1818年~1822年にクリスチャン・フリードリッヒ・ナッセ(Christian Friedrich Nasse)が発行した精神科医のための専門ジャーナル(Zeitschrift fur psychische Aerzte)(全5巻)が挙げられます。
ここでは、当時の精神障害の命名と分類ともに、「身体の病気が精神と身体の関係に障害をもたらしている」というナッセの信念や、精神障害と犯罪の関係などについて議論されていました。
【DSM の起源】その1:アメリカ国勢調査の統計
そして、【DSM-I】が作成される直接的な最初のきっかけは、【DSM-I】が発効される110年以上も前の、1840年にアメリカ合衆国国勢調査局によって行われた、第6回アメリカ国勢調査までさかのぼります。
1840年のアメリカ国勢調査
初めて精神障害者の人数を調査
1790年から10年ごとに行われていたアメリカ国勢調査の第6回目で、初めて精神障害者の人数を調査することになりました。
その調査では「idiocy(バカな、知能が低いような) / insanity(狂気、精神病)」という1つのカテゴリーが使用されたのですが、これが【DSM】の最初のきっかけになります。
調査は軍人が担当
しかし、その精神障害者の人口調査は、医師や専門家ではなく、国勢調査の担当となった元帥(軍人の最高位の人)のもと行われました。
その精神障害者の人口調査と、精神病理学の理解とはほとんど関係がないものでした。
調査内容
各家族に行われた調査は下記のようなもので、家長が記載・返答を行うものです。
- 家長の名前
- 住所
- 奴隷でない白人男性・女性の人数:
- 5歳未満、5?20歳までは5歳区切り、20~100歳は10歳区切り、100歳以上の13項目から選択
- 奴隷、奴隷でない有色人の人数:
- 10歳未満、10~24歳、24~36歳、36~55歳、55~100歳、100歳以上の6項目から選択
- 7つの職業クラス(鉱業、農業、商業、製造と貿易、遠洋航海、運河・湖・川の航行、プロのエンジニア)に雇用されている各家族の人数
- 人種別の聴覚障害者の人数
- 人種別の口のきけない人の人数
- 人種別の「insane(狂気)」や「idiotic(バカな、知能が低いような)」と表現される人の人数
- 学生または学者の人数
- 読み書きができなかった20歳以上の白人の人数
- 退役軍人の為の年金受給者の名前と年齢
参考:Wikipedia “1840 United States Census“/United States Sencus Bureau “1840“
精神障害の項目が登場したが、定義は記載されず
毎回の国勢調査と似た内容の項目の他に、「insane(狂気)」や「idiotic(バカな、知能が低いような)」と表現される人の調査が追加されているのですが、この「insane」と「idiotic」については定義がなかったのです。
参考:History of the DSM “Before the DSM“
つまり、この精神障害者の人口調査は、非科学的なものでした。
調査結果は抗議された
この調査で、多く町においてアフリカ系アメリカ人が「idiocy / insanity」という結果にまとめられてしまいました。
3年後、この結果はアメリカ統計協会によって「“the most glaring and remarkable errors are found in the statements respecting nosology, prevalence of insanity, blindness, deafness, and dumbness, among the people of this nation."(最も深刻で注目すべき誤りは、この国の人々の間で、疾病分類、狂気の蔓延、失明、聴覚障害、および口がきけないことを尊重する声明に見出される)」「本質的に役に立たないものだ」と公式の抗議が行われました。
この調査をきっかけに現・APAが設立
この調査をきっかけに、アメリカ機関の非常識を監督するため、13人の医療機関・教育機関の施設長らにより、現在のアメリカ精神医学会(APA)の前身である医療監督者協会(AMSAII:Association of Medical Superintendents of American Institutions for the Insane)が設立されました。
目的はアメリカ機関の非常識を監督するだけではなく「経験を互いに伝え、狂気に関する統計情報の収集に協力し、狂気の治療を改善するために互いに助け合うこと」を目的としていました。
1892年、AMSAII はアメリカ医学心理学会(The American Medico-Psychological Association)に改名。精神病院で働く助手医師がメンバーになることができるようになりました。
1921年、現行のアメリカ精神医学会(APA : American Psychiatric Association)に改名されたという歴史があります。
【DSM の起源】その2:「アメリカ精神医学会マニュアル(American Psychiatric Association Manual)」
アメリカ精神医学会(APA)は、1917年に、精神病院のための新しいガイドとして、精神衛生国家委員会(National Commission on Mental Hygiene/現・Mental Health America)と共に「アメリカ精神医学会マニュアル(American Psychiatric Association Manual)」を作成しました。
初めての標準化された精神障害分類システム
これが、アメリカで最初の標準化された精神障害分類システムとなりました。
当時の精神障害は重症症例のみ
しかし当時は、精神障害と診断される人は、入院が必要なほど重症な症例でした。そのため、数年にわたり何度か改訂も行われましたが、精神障害の研究が進み、下記の新しい精神障害分類システムが登場、最終的には失敗と終わりました。
19世紀終わり頃~20世紀前半の精神障害の研究については、下記ページで詳しく説明していますので、是非あわせてご覧ください。
【DSM の起源】その3:「Medical 203」
「Medical 203」とは、1943年に米軍が独自に開発した精神障害分類システムです。
戦争神経症の診断・治療のために開発
アメリカでは1939年から始まった第二次世界大戦により、大勢の兵士が戦争神経症を患い、適切な診断と治療が必要でした。また、徴兵選抜段階から精神医学的介入の必要性があるとも考えました。
しかし、それらは、上記の精神障害分類では対応できませんでした。
そこで、アメリカ陸軍の精神科コンサルタント部門長だったウィリアム・C・メニンガー(William C. Menninger)精神科医が議長となり「Medical 203」が開発されたのです。
精神医学の革新者が開発
ウィリアム・メニンガー医師は、精神科医チャールズ・メニンガー(Charles Frederick Menninger)を父に持つ、当時アメリカでは比較的新しい分野だった精神医学を専門とする医師でした。
彼は、アメリカの精神障害分野において大きな貢献した革新者であり、父と、弟カール・メニンガー(Karl Menninger)精神科医と共に、精神医学的・行動的健康治療の世界的リーダーと認められたメニンガー財団(Menninger Foundation)を設立・進展させた人物でもあります。
彼の指導の下で、アメリカ陸軍は戦争神経症による兵士の損失を減らしたとされています。
参考:Wikipedia “Menninger Foundation“
環境が精神疾患の原因となる概念を、初めて導入
「Medical 203」は、それまではなかった「生活環境やストレスの多い出来事が、正常な人々の精神疾患につながる可能性があるという概念」が分類システムに初めて導入された精神障害分類システムでした。
「Medical 203」は、下記の5つのカテゴリに分類された52の精神障害から構成されています。また、心理学者や精神科医が、患者から受けた説明と比較できるように、各障害は段落形式で説明された精神障害分類システムでした。
- 1.急性または特別なストレスに対する一過性の人格反応
- 2.精神神経障害
- 3.性格および行動障害
- 4.知能障害
- 5.精神障害
【DSM の誕生】「DSM-I」
上記のような時代の流れにより、当時アメリカの精神障害の世界では、「アメリカ精神医学会マニュアル(American Psychiatric Association Manual)」、「Medical 203」、「Medical 203 が基の退役軍人管理専門用語」という複数の分類システムが存在、かつ、病院が報告目的で使用するシステムとも異なり、多くの種類の分類システムを学習しなくてはいけず混乱していました。
そのような混乱を解消するため、命名法と統計について標準化するための新しい分類システムの形成をすることになりました。
アメリカ精神医学会(APA)に「Medical 203」を基に新しい分類システム開発する権限が与えられ、1952年に106の精神障害の分類が含まれた145ページの【DSM-I】が創刊されました。
【DSM-I】は「Medical 203」の構造と概念、内容はほぼそのまま用いられました。内容での主な違いは、「Medical 203」で精神神経疾患部門に分類した身体化反応を、【DSM-I】では別のカテゴリーに分類、また、6つの身体化障害も追加した程度でした。
(ちなみに【DSM-I】では、まだ自閉症・自閉スペクトラム症を含む小児特有の障害の分類は、存在していませんでした。詳しくは下記ページをご覧ください。
操作的診断基準の導入は、それから28年後
またこの【DSM-I】は、まだ分類リストであり、現在のような精神障害の操作的診断基準は記載がありませんでした。操作的診断基準の導入は、1980年の【DSM-Ⅲ】にて世界で初めて行われました。
【SDM】が誕生したときは、まだ今のような操作的診断基準は導入されていない。導入されたのは【DSM】の誕生から28年後(【DSM-Ⅲ】)のこと
【DSM】はアメリカの精神医学の基礎となった
当時、他国に比べて精神分析に非常に重点を置いていたアメリカにとって、この【DSM】 は、戦後アメリカの精神医学分類の基礎となっていきました。
まとめ
今回は、【DSM】が創刊されるまでの歴史を見てきました。
精神障害の歴史は浅く、自閉症・自閉スペクトラム症に関わる分類や診断方法は、今もなお、研究により改訂されていますが、【DSM】も当時の時代の流れでどうしても必要になり、開発されたことが分かりました。
そして、現在は同じ操作的診断基準となっている ICD と【創刊までの想い】を比較すると、精神医学の世界で(場合によっては) ICD-10 よりも重点を置かれる理由も分かる気がしました。(個人的な感想です)
後日、【DSM】に操作的診断基準が導入されるまでの経緯も別ページで詳しく解説していきますので、そちらもご覧ください。
読んで下さってありがとうございました!