【参考資料】シュピーゲルグルントへの移送対象と基準

2021年11月4日

シュピーゲルグルントへ移送された子の対象基準についてのまとめタイトル画像

シュピーゲルグルントへ移送されたのは、ヒトラーの人種的理想を脅かす子どもたちでした。このページでは、シュピーゲルグルントの参考資料として、移送対象と基準についてみていきます。

設立当初は0~3歳の乳幼児のみ

ナチスは1938年の春頃から「安楽死」計画を立てていました。しかし、世界から批判されることを恐れ、秘密裏に計画・実行された作戦でした。

なので目的は告げずに、ナチス・ドイツ統治下の産院や小児病院などの医師や助産師に、下記に該当する3歳までの子どもの情報を登録フォームに記入し報告するようにという通達を1939年8月18日に出しました。

  1. 知的障害とダウン症候群(特に失明および聴覚障害に関連する症例)
  2. 小頭症(Mikrocephalie
  3. 重度または進行性水頭症(Hydrocephalus
  4. すべての種類の奇形、特に手足の欠如、頭と背骨の重度の裂け目など
  5. 乳児脳性麻痺を含む麻痺

そして1940年7月に「大人の安楽死」計画が実行され、施設に空きが出来た直後、子どもたちは、その情報を基に大規模に集められました。

対象年齢・基準は徐々に拡大

シュピーゲルグルントへ移送される対象年齢は徐々に広がっていき、最終的には0歳~18歳までとなりました。

また、移送する子の基準も広がりました。移送のためのリスト化された厳密で明確な基準はなく、大きな基準は、社会的な労働力になり得るかどうかという経済的なことでした。

具体例

子どもの障害の程度や内容は、非常に幅広いものでした。

身体障害児精神障害、今でいう自閉スペクトラム症発達障害もシュピーゲルグルントへ移送されました。学習が少々遅い程度の子、行動上の問題がある程度の子、会話も成り立ちシュピーゲルグルントのスタッフから好感を持たれるような子までも含まれていました。

また、アルコール依存症の親を持つ子も、当時は遺伝性の疾患とみなされ移送されました。

それ以外にも、ナチスへの反抗分子や共産党主義の子どももそこに入れられました。

The children included those selected by T4 categories, as well as the children of resistance fighters and communists.

Alliance for Human Research Protection “Am Spiegelgrund” in Vienna“Special Children’s Ward” 1940–1945, November 18, 2014
↑ 和訳概要

子供には、T4カテゴリで選択された子供たちと、抵抗闘士や共産主義者の子供たちが含まれていました。

The “special children’s ward" was housed in pavilions 15 and 17. The reformatory was housed in pavilion 18.

Am Spiegelgrund" (Städtische Jugendfürsorgeanstalt “Am Spiegelgrund” Wien), Last updated: 29 August 2015
↑ 和訳概要

「特別児童病棟」はパビリオン15と17に収容されていました。改革派はパビリオン18に収容されていました。

シュピーゲルグルント側からも出向いて選出

シュピーゲルグルントの医師が、移送させるべき子どもを見つけるため、また責任者らに指導するために、いろいろな病院や施設にも出向きました。

シュピーゲルグルントでの最初の医学責任者であり、アスペルガー医師とウィーン大学小児クリニック治癒教育部門で働いていた同僚であった神経疾患の専門家のアーウィン・ジュケリウス(Erwin Jekelius)は下記のように市に報告しています。

Hiezu möchte ich bemerken, daß […] gemäß meinem Auftrage, die Sonderanstalten für psychisch abwegige Kinder und Jugendliche zu besuchen und die Pfleglinge dort zu begutachten, eine ganze Reihe von derartigen Untersuchungen durch mich stattgefunden haben. So wurde von mir auch die Anstalt Biedermannsdorf mehrere Male aufgesucht und die nicht dorthin gehörigen Kinder und Jugendlichen zur Verlegung in die für sie zuständigen Sonderanstalten beantragt […]. Montag, den 14. ds. beabsichtige ich nach Tatzenbach hinauszufahren, um […] die dortigen Kranken zu begutachten. […] Montag den 21. ds. ist die Begutachtung von Zöglingen in Eggenburg geplant.

アーウィン・ジュケリウス
↑ 和訳概要

このため私はそれをしたいと気づきました[…] 私の注文によると、精神的に逸脱した子供や若者のための特別施設を訪問し、そこで移送させる子を見立てるために、私はそのような多くの調査を行ってきました。ビーダーマンスドルフにも数回訪れました。そしてそこに属していない子供や若者が彼らに責任がある特別な機関に移されるように要求します[…]。 14日の月曜日には、私はタッツェンバッハに出かけるつもりです[…]そこで病気を診察します。[…]21日の月曜日には、エッゲンブルクで生徒の鑑定を計画しています。

アーウィン・ジュケリウス
アスペルガー医師の同僚のアーウィン・ジュケリウス医師(Erwin Jekelius)1931年から1936年までウィーン大学小児クリニックの治癒教育部門で働いた。1933年からNSDAPのメンバーとなる。1938年以来神経疾患の専門家となり、1940年7月24日から1941年までシュピーゲルグルントの医学責任者を務める。画像はBMCより

(ちなみにジュケリウス医師は、シュピーゲルグルントでの仕事の他に、10月からT4作戦のコーディネーターになり、計数千人に対してガス処刑される患者を決定していました。参考:Wien Geschichte Wiki Am Spiegelgrund" 2020.4.23 / Wikipedia “Erwin Jekelius

どこから集められた?

2/3は公立の施設から

約2/3の子どもは児童養護施設やウィーン大学病院の小児科、他の小児病院から移送されてきたようです。

1/3は実家から

そして1/3の子どもは家から連れてこられました。 1940年7月24日~1941年7月23日までの1年間で合計1,583人の子どもたちがウィーン改革派の家から移送されたというデータがあります。

さいごに

シュピーゲルグルント関連リンク一覧です。ご参考になれば幸いです。